過疎や高齢化で地域が活力を失う姿を見過ごすわけにはいかなかった。JAかいふの組合長になった2015年、「農業を核に地域を再生できないか」と、県や海部郡3町に呼び掛けて協議会を設立した。起爆剤として白羽の矢を立てたのが、県内一の生産量を誇るものの、後継者不足に悩む促成キュウリだった。

 ただ、担い手を育てるにも土作りだけで5年程度かかる。「土を使わない養液栽培なら移住者も就農しやすいのではないか」。キュウリで技術が確立されていなかった養液栽培の生産性を上げるため、研究している明治大に何度も足を運び協力を頼み込んだ。また、栽培に最適な温度や湿度の参考にしようと、地元の熟練生産者を回って頭を下げ、ハウスに計測装置を置かせてもらった。

 「種」をまいてから3年余。時間があればきゅうり塾修了生のハウスを回る。作業の遅れを助言し、顔色が悪いようだと「誰か手伝いを呼ぼうか」と気遣う。新しい力で古里が少しずつ変わっている。そんな確かな手応えを実感している。

 海陽町の兼業農家に生まれた。宍喰高(現・海部高)を卒業後、父や親族が経営する地元の建設会社に勤めながら、コメや野菜の栽培に携わった。

 「豊かな自然があり、人を温かく受け入れる土地柄」と、古里への思いは人一倍強い。2年ほど前まで民生委員を務め、現在も農業委員や寺の総代を引き受けるなど、地域の世話役として活動する。昨年10月に海陽町で開かれた「全国きゅうり養液栽培サミット」では、JA婦人部と「海部みそ音頭」を披露するなど、持ち前の明るさで地域を引っ張ってきた。

 趣味は「農業」。「農作業に没頭していると頭が空っぽになり、力が湧くんよ」と笑った。長女と長男は独立し、海陽町宍喰浦の自宅で妻と2人暮らし。72歳。