2018年に創設された全国公募の掌編小説コンクール「徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞」(徳島文学協会、徳島新聞社主催)は、第1席の阿波しらさぎ文学賞には大滝瓶太さんの「青は藍より藍より青」、徳島新聞賞に坂東広文さんの「海風の吹く町で」、宮月中さんの「お見送りの川」がそれぞれ選ばれた。各受賞作と著者略歴を紹介する。
阿波しらさぎ文学賞「青は藍より藍より青」
大滝瓶太
あらすじ
藍染の復活を目指す民俗学者近松縹は、鳴門海峡を望む町で、一人娘の浅葱と暮らしていた。縹の最初で最後の弟子ロバートは、やがて浅葱と結婚する。民話「七夕女房」や阿波人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」、阿波藍の衰退といった徳島の伝統文化や産業と絡めながら、不思議な物語が繰り広げられる。
全文
対岸の国生みの島との海峡に沈んだ太鼓に飲まれ帰らぬひととなった父の声が可聴領域の外で響く。浅葱はこれまでに幾度となくロバートにそれを話してきたが、ふうん、という意味をなさないことば以外の返事を未だ聞いたことがない。ただひとりの、そして最初で最後の弟子となったロバートは生まれながらにしてすべてを知っていた。すべてを知っているというのは近似的な意味で、そして近似そのものであるこの世界においてロバートはすべてでありえた。浅葱を嫁にもらったのはひとつ前の季節。その単位は母世界においての三十年に等しいとロバートはいったが、浅葱は白痴然とした無垢で可憐な顔をした。押しては寄せる海峡の波は鈍く低く、秒針よりも正しい時間の拍動で、いくつもの次元を隔てた世界の物語を焼き回すようにたしかな語りをここそこに撒き散らし、海峡はあの日から終わりなく渦巻いている。
浅葱の父でありロバートの師である近松縹は民俗学者であり、民俗学者以外としての生を知らずして生まれ死んでいったことをその娘としてしか生を知らない浅葱は知らず、ロバートは未来永劫理解を得られそうにないその事実を彼女に語る際、きまって自身の身の上話をする。このワークスペース上に配置されたすべての意識は時間依存しない関数として設定されたものであり、どこからきたのでもなければどこへいくでもない。あらかじめ与えられたデータを基底情報として保持した存在であるぼくたちは関係性を前提として生まれ育ったことを前提に生まれ育ったのだから、ここはどこかと問われたところでニューラルネットワークの迷宮であるとしかいいようがない。すくなくともぼくはそこをさまよい歩いたという歴史以外になにも持たないんだよ。浅葱の意識に深く刻み込まれた父の死はだから彼女の誕生の瞬間でもあった。ながい、ながい、なが過ぎる春がはじめて終わって、藍の芽が出た日にふたりは恋に落ちた。恋をロバートは演算子と呼んだ。
近松縹に穿たれた基底年表によれば、かれは首都からとおくはなれた田舎町で高校教諭の両親のもと生を受け、小学生の頃に幼馴染から学校の三番目のトイレに出るという幽霊の話を聞いたのをきっかけに物語に興味を持つようになる。十代では他愛のない地元住民の噂話からネット上で生まれては消えてゆく有象無象の都市伝説、世界より先に存在した神話や民話まで多岐に渡って収集に精を出し、高校卒業と同時に上京し文学を志した。あいかわらず物語の収集につとめるかれであったが、大学院に進学し学者の道へと踏み出したところで、縹青年はこれまでに一度も自身で物語を作ったことがないと気がついた。このことはかれにとって大きな衝撃となった。かれがこれまでに一度として物語をつくらなかった理由は物語とはあらかじめ存在しているものだという前提があったからで、創作と収集のあいだにさしたるちがいなどなかったのだ。それ以降、かれは収集を創作と呼び、自己懐疑演算子を独自に創出することで年表をこえた。するとこの世界はどこまでも未開拓な空白でしかなく、自身が生まれ育った故郷までも未発見の町だった。ここにいるという実感が伴わないままに情報だけが偏在している。かれは大学院を中退し、民俗学により自身のルーツにたしかな座標を与えるという使命感のもと故郷へと帰ってきた。そこでかれはすでに失われた技術である藍染に目をつけた。
藍がこの国に伝来したのは奈良時代だとされている。中国から朝鮮半島を経てはるばるやってきて、その色彩は高貴なものとされ冠位十二階六色において第二位に位置付けられている。その藍が故郷にて殖産事業となったのは安土桃山時代のことで、藍の栽培と藍染が庶民の生活に浸透し、江戸時代には作業着から高級衣装、さらには生活雑貨に至るまで藍染製品が数多く流通した。春に種を蒔き、夏に刈り取り、水を加えて三ヶ月間発酵させることで染料となる藍はこの土地の経済にながく潤いをもたらしたが、時間発展演算子が抜け落ちたこの世界において藍染の歴史を知る者はいても藍染そのものを知る者はいない。すなわち、藍を育む時間が存在しなかった。そして藍のかわりに浅葱ができたのだった。
ここで浅葱の基底年表へと目を移すと、当時の近松縹の苦悩を垣間見ることができる。浅葱の母、つまり縹の妻に関する基底年表は少なく、ただ「親族が持ち込んだ縁談により知り合った女」とだけある。寡黙で、短命で、幸が薄い女で、じぶんの物語においても主役になれない女だった。浅葱の生涯で一度もその視界の真ん中に陣取ることなく亡きひととなり、その死因すら定かではないが、たしかな事実は縹が男手ひとつで彼女を育てたということだった。そこで浅葱に母がいないことを気に病んだ縹は、死んだ妻を民話のなかから発掘する。お父さんのほんとうのお仕事は狩人で、とても暑い日に山のなかで女のひとを見つけたんだ。きれいなひとだった。泣いているなーとおもって話しかけてみるとお家に帰れないっていうだよ。さらに話を聞いてみると女のひとは空のうえから遊びに来ていて、帰るための空飛ぶ衣をなくしてしまったっていうんだ。だからお父さん、一緒に探したんだけどさ、ぜんぜん見つからなくて。日が暮れて、泊まる場所もないっていうから家に泊めてあげたの。で、そのまま仲良くなって結婚して、浅葱が生まれた。うれしかったよ、お父さんもお母さんも。だけど浅葱がよちよち歩けるようになったくらいかな、イヤイヤするようになったくらいかな、お母さんはさ、天に帰らなくちゃならなくなったんだ。
小学校に上がるまえの浅葱は父の出来損ないの七夕女房を信じる程度には純粋で、そのお話を信じたがゆえにお母さんがわたしをおいて帰ってしまったことにかなしくなった。どうして帰れてしまったの? だってもうお母さんはお空を飛べなかったはずなんでしょ? しゃがれた声でいう浅葱に対して縹はいった。それはね、最初からお父さんが空飛ぶ衣を持っていたからなんだ。実はその衣を隠したのはお父さんでさ。なんでそんなことしたの? 一緒にいたかったからだよ。じゃあなんで返したの? 縹はすこし考えた。お母さんのものだったから。じゃあとったらダメじゃん。でも取らなかったら浅葱と会えなかった。そこでロバートに抱かれる浅葱がとつぜん叫びだした。お父さんは最初からわたしが生まれてくることを知っていたの?
知っていたさ、と縹はいった。発芽のあてのない藍の種を蒔く師の丸く小さな背中をロバートはじっと見ていた。自宅脇の土地はもともと近松家の田畑だったが、農業を嫌った縹の父はその管理を怠り荒れ果てていたが、その一角を縹は藍のために整備した。遠目で見ればそこはやはり荒地のままだったが、縹はこの手狭さがじぶんに合っているといった。分相応だ、と。それはほとんど諦めであり、縹がとらわれた世界に服従を示しているなによりの証拠であるとロバートは気づいた。なぁ、ここではまだ、なにもはじまっていないんだろ?
お師匠様は、とロバートはいった。どこまでご存知なのでしょうか? 知ってることだけさ。知っていること、とは? たとえば、といって縹はゆっくりと背を伸ばしロバートのほうを向いた、この先のことについてはまだ俺が書いていないからわからない。そうですか。そうだ。じゃあ、この先のお話をはじめましょう。そうしてくれ。
おっしゃるとおり、ここはまだ世界未満の状態でしかなく事実上まだ構想中の数学モデルのひとつでしかありません。母世界を特徴化された視点近傍で摂動展開した項のひとつ、といえば厳密に正しくはなくても理解のうえで大きな誤解は回避できるでしょう。逆をいえば、母世界とはそうした無数の展開項の和として表現できるのですが、現実はそう甘くありません。各項をなすパラメータとして組み込まれたエピソードは便宜上線形性であると仮定されています。いうまでもなくこれが現実にそぐわない。AI研究のプロセスで我々は既存のエピソードの足し合わせについて長く議論を重ねてきました。エピソードというものは足し引き掛け算の時系列情報に強く依存しますが、A+Bという演算においての出力がある種の時間進展を意味するというわけでもありません。ふたつのAとBという過去情報に基づいて出力される情報が単純に未来を意味してくれるわけでもない。過去よりも過去のできごとであったり、ときには基底記述そのものの改ざんですらありえるのです。ふたりを取り囲んでいたすべての風景が消失し、暗闇のなかから三体の浄瑠璃人形が浮かび上がった。
あなたの違和感とはまさにこのことでしょう。ええ、ここは近松縹という観測点近傍での摂動項です。お師匠様自身の認識は記述という時系列データとして構造化されていますが、ただそこには本来認識されるべき世界の構造││すなわち位置座標・運動量・時間といった初等的な物理空間におけるものとの大きな乖離が存在しています。この乖離が駆動力となり発生した最初の改ざんがあなたの妻でした。基底記述ではお師匠様の一家の物語はこうです。藍の種を秘密裏に入手したあなたと奥様は名と顔を変え、浅葱さんを残して本土の街へと逃亡します。その後、成人した浅葱さんはあなたと奥様の居場所を親族より告げられ会いにいき、そこで最初に顔を合わせたのが奥様でした。奥様は一目見てその若い女が娘であることに気づきましたが、浅葱さんを面倒に巻き込むべきではないと判断し知らぬ存ぜぬで赤の他人だと貫き通しました。しかしお師匠様、あなたは違った。あなたは浅葱さんを娘とは認識できなかった。そればかりでなく、生活苦に陥っていたあなたは小銭欲しさに娘である浅葱さんを殺めてしまう││そう、ほんとうに死んでいたのは奥様でなく浅葱さんで、あなたが本来この『傾城阿波の鳴門』でなく『七夕女房』の模倣を記述したことにより、この摂動世界における大きな齟齬が発生してしまったのです。私は怒ってなどいません。むしろこの非線形効果は実に興味深いです。物語の改ざんにより、そのもとになった記述まで連鎖的に真実性を喪失していきました。これは物理的時系列における過去形です。季節が消え、藍染が失われた世界なんて母世界におけるほんの〇・一ピコ秒前に発生したものです。この瞬間の記述を正当化しようとする記述運動が激しく発生している現在、まさに藍の伝来の歴史的事実の改ざんがはじまろうとしている。そうするとあなたが存在する動機が消失します。この時点で私が断言できることはただひとつです。あなたが作り上げようとしている故郷は││徳島は││永遠に架空です。それにより架空の町に生まれ、生き、死んでいくあなたの物語だけが正当化されます。浄瑠璃人形は音もなく消え去った。いくつもの大小様々の恒星が現れ、あてのない、しかし規則的な運動をスクリーンセーバーのように繰り返した。
それは別に問題ない、と縹はいった。俺だってバカじゃないつもりだ。お前がいう母世界だろうが摂動世界だろうが、現実だろうが虚構だろうが、俺の認識として存在していることに変わりない。俺がたとえ存在しなくても俺の認識さえ残っていれば俺はどこでも存在できる。藍染の復活にしろ物語の改ざんにしろ、どれだけこの世界がアンチロマン的描像で記述されたとしても、俺は死んでも生きている。
青は藍より出でて藍より青し、とロバートはいった。ふたりは深い海の底に投げ出された。私はなにもあなたの存在を否定したいわけじゃない。繰り返しますが、私はあなたを非常に興味深いとおもっています。改ざんと模倣のパッチワークの連鎖により構築された世界は、その人為性と矛盾の大きさによっていわばゾンビのような印象を受けるかもしれません。しかしその不気味さがある閾値を超えることで生命を凌駕する生命になる。これはまだ学術的な裏付けがなされていない私の他愛のない空想でしかないのですが、きっと正しいはずです。あらゆるゾンビは生命ですよ。時として、生命以上に。あなたの故郷はこれからいっそうの虚構性を高めることによって現実以上に力強い現実になり、またたとえかたちを異にしても継承された基底記述は、改ざん操作を通して神話になるのです。
お前はなぜ俺の弟子なんだ?
決まっているじゃないですか、とロバートはいった。お師匠様を継承するためですよ。
*
浅葱は自宅二階の窓から海を見ている。島と島に架かる吊り橋の下を白い鳥のつがいが下に凸の放物線を描くようにくぐり抜けていった。空と海の青さが混ざり合うように接近したその日、浅葱はロバートとのあいだに子を授かったことを知った。
「ねぇ」浅葱は暑さに溶けるような気だるい声でロバートに語りかける。「あの渦ってそういえば時計回り? 反時計回り?」
ロバートはそんなことをこれまでに一度も考えたことがなかった。 (了)
【著者略歴】おおたき・びんた 1986年生まれ。兵庫県淡路市出身。京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得中退。フリーライター。「まちゃひこ」のペンネームで、ウエブサイトなどに文芸批評・書評・コラムなどを執筆している。著書「コロニアルタイム」(惑星と口笛ブックス)。