徳島文学協会賞 「お見送りの川」

宮月中(徳島市南前川町)

 あらすじ

 子どもの頃、弟は電車の幻想に固執していた。姉である私が、徳島には汽車しかないと言っても聞かず、徳島の川の上を走る電車を見に行くという。ある日、私と弟が徳島駅近くの陸橋に上ると、線路が川に変わり、本当に電車が走ってきた。事実をモチーフに幻想的な物語が展開される。

 全文

 ずいぶん昔、弟はよく電車の夢を見た。

 電車は弟の頭の中を颯爽と駆け抜けた。幼稚園や動物園、大好きなオムライスのお店を駅にして止まりながら、地下鉄やモノレールや、新幹線に憧れた弟の幼い目を輝かせた。けれども目が覚めてしまうと、美しい幻は遠くへ行ってしまう。私の町には電車が走っていなくて、だからそれがどこにも存在しない、架空の路線であることに思い至るのだった。

 それでも弟は、夢の電車に家族で乗ることに命を懸けていたから、起きている間も四六時中電車の話をした。

 「母さん、電車見に行くよ」

 「またかね、今日、母ちゃん忙しいんよ、ご本読んで遊んどいて」
 母は弟の空想にはじめこそ頷いていたものの、その要求が際限ないことに辟易して、取り合うのをやめてしまった。そのしわ寄せは父に、父の仕事でいない間は私の方にやってくる。

 「ねえちゃん、電車見に行こう」

 「電車ってどんなん?この本に載っとん?」

 私は本棚からボロボロになったのりもの図鑑を引き出して、適当なページを開く。

 「ちゃうよ、これは東京の電車」

 「でもここには電車ないんよ。ほら、こっちのページ。この辺を走りよるんはこれ。特急剣山。キハ一八五」

 「ちがう、これは汽車」

 弟は車両のあたまを指差して解説する。

 「これはぱんたぐらふが付いてないでしょ。電車はな、ぱんたぐらふから電気をとって走るんよ。裕太の見たんはな、一両へんせいでな、ぱんたぐらふがチカチカって火花散らして、それで、川の上を走るんよ」

 「川の上?」

 とうとう現実を離れだした弟の空想に根を挙げて、私は助けを求めるように台所の母を見た。母は「困ったもんでしょう」と目配せをして、こう付け加えた。

 「ちょっといつもの橋のところまで連れてったげて。晩御飯までには帰ってくるように」
 

  
 衛星画像で四国を見ると、愛媛県の松山市あたりから東向きに、まっすぐな線が見える。中央構造線という断層が作るその線は、徳島県に入るや裾野を広げ、ちょうど東京に向けられた細長いラッパみたいな平野を広げている。徳島市はその先端、吉野川の本流が紀伊水道へと注ぐ汽水の部分に、ぶら下がるようにしてくっついている。だからかしら、ここの人たちはみんな東京の方を向いていて、自分たちの町が都会じゃないことに少しばかりの引け目を感じているようだった。私だって、地下鉄やモノレールや、新幹線で通学出来たらどれだけ誇らしいだろうとか、そんなことを考える時もある。弟のあこがれを理解できないわけではないけれども、反面この町が大きくなるには、人もお金も魅力も、何もかもが足りていないようにも思えた。

 家から駅のある中心街へ向かうのに、私たちは何度も橋を渡らなければならなかった。市内には何本もの川がうねるように走っては合流し、網目状になった土地は私たちの歩くのをしばしば堰き止めた。

 「不便な町やわ」

 呟くと弟は顔をあげ「不便なん?」と聞いた。

 「学校遅れそうな時とか、疲れとる時とか、なんでここに橋ないんやろとか思わん? 思わんよな、あんたバスで送り迎えやもんね」

 私がそう吐き捨てたところで、ちょうど三つ目の橋に差し掛かる。空を映していた水面が揺れて、周遊ボートが川を駆け抜ける。オレンジ色のライフジャケットを着た観光客が陽気に手を振って、弟も律儀に手を振り返す。昔家族で乗ったこともあったけれど、見える景色はコンクリートの壁と橋ばかりで、当時の私には何が楽しいのか分からなかった。ボートが見えなくなって振り返れば釣り人が二人、ちょうど魚を釣り上げたところだった。

 「タイじゃ! おじさん、タイ釣ったん?」

 幼い声に振り返った釣り人のおじさんは、道路越しに今しがた水から上がって来たばかりの魚をかざして見せる。

 「タイやのうてキビレじゃ。ほれ、川が逆に流れとるじゃろ、大潮で満潮が近いけん、ようけ釣れるんよ」

 車がいないのを確認して、おじさんの方へ歩み寄る。タイにしてはとげとげしいその魚はキビレと言うらしい。ゴムの手袋で器用に針を外すおじさんに、弟はずけずけと質問する。

 「おじさん、この辺で電車見んかった? 川の上を走るん。お魚さんが運転しとってな」

 「川の上ぇ?」

 「そう、ピカピカって光ってな・・・・・・」

 「そりゃ僕、一休さんの話か」

 「一休さん?」

 私と弟は同時に声を上げる。

 「ほれ、水面の月を掬う話があったじゃろう。僕も川に映った電車を見たんとちゃうか?」

 弟は納得しがたいという風に首を傾ける。私は「汽車やなくって電車なんです」と解説を付け加えた。

 「ほんなら狸の仕業かもな。この辺は狸の伝説もあるし、狸が列車に化ける言う話も聞いたことある気がするし・・・・・・」

 「そうかもしれませんね」

 少なくとも、実際に川を電車が走るよりは現実的なのかもしれない。あまり迷惑はかけられないと思い、なお不満げな弟を引っ張って足早に橋を渡った。


  
 東西に細長い駅とその裏手に佇む城山を分断するようにして、線路は横たわっている。踏切は西側にしかなく、東側にはアンダーパス。真ん中を横切るには古い跨線橋の階段を昇り降りするしかない。弟の目的地はいつもこの跨線橋だった。私たちが着いたころにはもう薄暗がりの中で、オレンジ色の灯りを静かにともしているばかりだ。

 「こっからな、おっきい川が見えて、そこに電車が来たんよ」

 なおも電車の存在を主張する弟につられて、私もフェンスの網目の間から下を眺める。右手に林、左手に町。強い光にさらされて光る鉄の線路が何本か。林の手前に申し訳程度の小川が見えるけれど、大きな川なんてどこにもない。

 「ほら、やっぱりないじゃん。いつもの汽車ばっかり。パンタグラフ付いとらんでしょ」

 やっぱり弟は夢を見ていたんだ。目を凝らしたって、斜めに見たって、線路は線路。どれだけ邪魔でも川は川。ポケットの携帯電話が震えて、どうやら母の夕飯の支度が整ったようだった。

 「来たばっかりやけど、帰らんと、怒られるよ」

 「やだ。もう来るもん。今日は来るもん」

 そうしてフェンスにしがみつく弟を引きはがそうとしたときだった。ふと、跨線橋に設えられた常夜灯が点滅したような気がした。私は中腰で弟の肩を持ったまま動きを止める。あたりに人気はない。音もない。聞こえるはずの車の音や駅の雑踏が聴こえない。ゆっくりと腰を上げて、もう一度線路を見る。灯りに照らされていたはずの線路は暗がりの中に色を溶かして、やがてぐにゃぐにゃと揺れ始める。

 「川」

 弟ははっとしてフェンスを握る手を緩めた。

 突然現れた川面に、やがてぽつぽつと、蛍のような灯りがともる。遠くに太鼓や鐘の音が流れている。

 「祭りにはまだ早いのに・・・・・・」

 祭囃子とは違う、物悲しい太鼓だった。それがどんどん近づいてくるうち、そこに轍の軋む音の混じるのを聞く。

 「ねえちゃん、来たよ」

 弟が小さな手をフェンスから出して指さす。遠くから、細い灯りの列がやってくる。

 「電車や! ほら!」

 目を凝らすまでもなく、それはこちら側に近づいてきて、益々存在感を増した。銀色の車体、虚空に青白い火花を散らすパンタグラフ。ふと背後に気配を感じて振り返ると、さっき話したばかりのおじさんが立っている。

 「おじさ・・・・・・」

 おじさんは釣り具をもっていて、服こそさっきのままだったけれど、首から上は魚になっていた。

 「おじさん、キビレになっちゃったの・・・・・・

 「はっはっは!」

 急に笑い出した魚は、笑っているのか泣いているのか分からない表情で続ける。

 「おじさんは生まれた時からずっとキビレじゃよ。でも、今日でお別れでな」

 「どういう事」

 「これからおじさんのお葬式が始まるんで」

 「どうして、お葬式・・・・・・」

 「さっき釣られたけんよ」

 戸惑うばかりの私に、弟はさも当然とばかりに言い放った。

 「おじさん、僕も電車乗って良い?」

 「ダメ!」

 私はとっさに弟の腕をつかむ。さっき引き返そうとしたときよりもずっと強く。キビレは、首を振ったのだろうか、エラをパクパクさせて言った。

 「ごめんな僕、アレん乗ると、お家帰れんようなるけんな。ママが待ちよん違うか?」

 「待ってる・・・・・・」

 「ほんなら我慢しような。ほれ、電車もう出るけん、見送ってくれるか」

 振り返ると電車は跨線橋のすぐ下で停車している。ワンマンと書かれた車両には、やっぱり魚の顔をした運転手が乗っている。橋からはいつの間にか、川へと降りる階段が出来ていて、階段を名残惜しく踏みしめるように、キビレは川のホームへと降りて行った。やがて聞きなれた発車メロディが鳴って、運転手がマイクを取った。

 『十九時三十分、テラシマ発、紀伊水道線発車いたします』

 化かされている割には随分機械的な音で扉が閉まり、やがてモーターの高鳴りと共に、電車は滑り出す。暗がりの中、光る列車の窓からは、どうやらキビレが手を振っているようだ。私たちは今起きていることが何なのか、考えるのをやめて、電車が見えなくなるまで手を振った。
 

  
 それから先のことはあまり覚えていない。弟はお葬式のことを、私はきっと、邪険にしていた川が大事な道に見えたことを考えていた。帰路の口数は少なく、帰りが遅いと母にこっぴどく叱られている間も、なんだか夢見心地だった。

 弟は次第に電車の夢を忘れて、代りにカードゲームやアニメヒーローの話をするようになった。私も地元の大学に進学すると、単位だとか就職活動だとか、見えない先のことに気を取られて、幻想の見方を忘れてしまった。それでもふと、飲み会の席や部活の雑談で電車の話が出ると、その夜にあったことだけは、ぼんやりと思い出すのだった。

 ある日、その日は郷土史の講義で、私は頬杖をつきながら午後の部活のことや、文化祭の準備のことを考えていた。

 「――常三島、住吉島、福島、この川に区切られた部分を島と呼んだ。お城のあった島が徳島と言って、それが県名の由来になったわけだ」

 講義の言葉は、次の瞬間まで、意識の上の方を滑るようにして流れていた。

 「今はJRの線路のあるところにも、昔は川が流れていた。寺島川と言って――」

 「テラシマ川!」

 講義室は刹那静まり返った。突然立ち上がった学生に、教授は好奇の目を向けた。

 「おや、なんか思い入れがあるんです? もう六十年近く前に埋め立てられた川だ」

 「あ、いえ、すみません・・・・・・」

 視線を浴びる中いそいそと座ると、隣の席の友人が耳打ちする。

 「寝ぼけとったんでしょ」

 「まあ、そんなところ・・・・・・」

 「講義は退屈だけどさ、しっかりしなよ・・・・・・で、何でそんなに嬉しそうなの」

 「そんなことないって。何でもないって」

 それからたまに自転車を走らせて、例の跨線橋へと向かうことがある。イベントでもやっているのだろうか、途中の川面を翻す周遊ボートは満員で、皆楽しそうに手を振っている。私は笑顔でそれに応える。

 橋は相変わらず不便で、せめて自転車用のスロープでもあればいいのにと思いながら階段を上がる。青っ白い空の下に幾本かの線路は見えるけれども、私の目は、もはや葬儀の川を映しはしなかった。けれども時々、ちょうど大潮の日の夕方なんかには、橋の下に寂しい太鼓と鉄輪の音を感じることも、たまにある。 (了)

【略歴】みやつき・ちゅう 1994年、松山市生まれ。本名・星野凜。3歳から高校を卒業するまで山口県宇部市で暮らした。徳島大学総合科学部を経て、同大大学院在学中。24歳。