初詣に出掛けた板野町の四国霊場5番札所・地蔵寺で、どうしても気になって正月早々、岡本慈勝住職を訪ねた。奥の院に四国で唯一の五百羅漢をまつる

 羅漢とは、修行を完成し悟りを開いた聖者のことで、五百羅漢は釈迦(しゃか)の入寂後、経典をまとめるために集まった500人の弟子とされる。「とはいうものの、うちにあるのは187体」と住職

 大正年間に焼失し、お堂を再興したのが7年後の1922年。何百体もの仏像が数年でそろうはずはなく、お堂の完成後も毎年、造り続けていたそうだ。寄せ木造りで、富山の職人、北本祐三郎らの手による

 それも戦争で中断した。「きっと帰るから」と出征した職人たちは戦死。戦後の農地解放で所有地を失い、寺の資金も絶えた。再開は、と聞くと住職、俗なことを言って、がはは、と笑う。「宝くじに当たったら。でも、あかんねえ」

 北本らが残したのは、喜怒哀楽がもろに出た人間味あふれる仏像群だ。両手でぱっくりと腹を開けた像もある。知りたかったのは、その由来。「さあね、きれいな心、腹の内を見てくれ、ということなんでしょうな」。仏典は難しい、と言っては、またがはは

 40年以上、教誨師(きょうかいし)を務めている。ここはきりっと「徳島刑務所が自分を育ててくれた」。この腹蔵なき語り口に、大勢の人が救われたのだろう。