今回の改元は明治以降の前例と全く異なる。「天皇の死」を前提にしない改元は、現代に生きる日本人にとって初めての経験だ。この一事によって、新しい元号がどうなるか、身近に感じられる世相が生まれている。

 平成最後の新年一般参賀。寒風の中で開門を待つ人波の中から「次の元号って、何だと思う?」と明るい声が聞こえてくる。

 ある人は自ら考えた案を自由に語り、ある人は「頭文字がHやSになるものは駄目」とうんちくを披露する。30年前、平成とともに候補となった「修文」「正化」が、昭和のSとの重なりで外された、そんな情報をどこかで仕入れたのだろう。

 新元号の行方は、元号制にこだわる人や皇室崇拝を叫ぶ人だけでなく、広く国民の関心事となっている。

 「平成」に至る前回の選考は、昭和天皇の容体を気遣いながら水面下で進められた。すべては極秘扱いとなり、何も伝えられなかった。イベントの自粛が列島を覆う中、訃報の後に訪れる改元が、気軽に語られることはなかった。

 しかし今回の改元は、ビデオメッセージによる陛下の訴えと、それを受け止めた国民の共感によってもたらされた。平成への惜別と次の時代への期待感の中で、そのときを迎えようとしている。

 安倍晋三首相は、即位1カ月前の4月1日に新元号を公表し、現天皇の在位中に公布すると表明した。新天皇が即位後に公表・公布すべきだとする保守派の主張を退けた。

 「国民生活に支障を及ぼさない」ためという。「国民とともに」を旨とする陛下の考えと合致している。

 改元に携わる人々が念頭にすべきは、新元号が広く親しまれ、暮らしに根ざしたものになるよう努めることだ。

 IT環境は、前回の改元時と比べものにならないほど激変している。コンピューターによる管理は経済活動だけでなく、医療や年金など暮らしの多岐にわたっている。

 実際の改元までに準備期間を設けることは、社会に無用のトラブルを生まないために必要なことだ。万一、大混乱があれば、新元号自体にも冷水を浴びせるだろう。

 元号は、単に時を刻む物差しではない。過去から現代への時間の流れを計るなら、西暦の方が便利なことが多い。平成になってからしばらく、「今、昭和なら何年」などと計算した人もいた。使い便利の悪さが、元号無用論の根拠だった。

 しかし、平成や昭和は一時代を象徴する呼び名として親しまれている。新元号に対しても、多くの人が「良き時代になってほしい」との願いを込めるはずだ。

 元号について、国民がそれぞれの思いを語る。そうした状況は元号の定着や浸透を望む人々にとって、願ったりかなったりではないか。選考作業や決定に至る過程も、できる限り明らかにしてほしい。