11日に81歳で死去した池田高校元野球部長の白川進さんは、甲子園で一時代を築いた名将・故蔦文也監督を縁の下で支え続けた。教え子や高校野球関係者らは当時をしのび、冥福を祈った。
 

池田高野球部長として蔦監督(左)を支えた白川さん=1982年8月、甲子園


 「突然の悲報に接し、悲しみに堪えない」。池田高が1982年夏と83年春に史上4校目の甲子園夏春連覇を達成した時の中心メンバーだった水野雄仁さん(53)=巨人投手コーチ=は、訃報に心を痛めた。当時のチームを陰で支えていた白川さんの姿を思い返し「池高が全国で輝きを放てたのは参謀(白川さん)の苦労があったからこそ」と感謝の気持ちを示した。

 蔦監督の後を受けて母校で監督を務めた岡田康志さん(57)=池田高辻校野球部長=は「一つの時代が終わった」と話す。白川さんの言うことを蔦監督はよく聞いていたといい「白川さんは一時部長を離れていたが、蔦監督が頼み込んで戻したと聞いている。頼れる存在だったんだろう。私が91年夏に代理監督として甲子園に出た時は『伸び伸びやれ』と声を掛けてくれた。心の重荷が下りたのを覚えている」と懐かしんだ。

 野球部の副部長やコーチとして長く白川部長、蔦監督とトリオを組んだ髙橋由彦さん(71)=無職=は「采配を振る監督、体づくりを支える私、そして組織全体のかじ取り役だった白川部長。それぞれが役割を分担して池高を強くしていった」と振り返る。そして「白川部長はおおらかで包容力があり、何でも相談できた。今はおやじを失ったような気持ちでいる」と悼んだ。

 「池田を頼むわな」。86年春の選抜大会優勝メンバーで現チームを率いる井上力監督(50)は、2016年の着任時に声を掛けられたことを覚えている。亡くなる直前にも面会し「本当に大きな存在で、池田が甲子園に戻ることを望んでいた。いい報告ができるよう、生徒と冬の練習に励む」と古豪復活を誓った。

 1985年春の選抜大会4強のエースだった片山徹さん(51)=阿南一中野球部監督=は「蔦監督の横で笑っている姿が印象的だった」と述懐する。接する機会は主に試合だったが「いろいろな面からチームをフォローしていたのだろう」と推し量り「当時を知る人がまた少なくなり、寂しく思う」と悲しんだ。