女子バスケットボールで活躍する藤本愛妃選手(19)=東京医療保健大2年、徳島市出身=が成人式を迎えた。国内外で活躍した2017年やこれまでのバスケットボール人生を振り返るとともに、新成人としての自覚を胸に今後の飛躍を誓った。
「自分のバスケ人生の中で1番濃かった」 2017年
2017年は、8月のユニバーシアード夏季大会で主力の一人としてチームをけん引し、日本に50年ぶりの銀メダルをもたらした。所属する東京医療保健大では、12月の全日本大学選手権で初タイトル獲得に貢献。活躍が目立った2017年を「バスケ人生の中で一番濃い1年だった」と振り返る。目標としていた大学日本一のタイトル獲得など、結果を残せたこと、さらに厳しい日程をけがなくこなせたことが充実感を感じさせる理由だ。
大学では、リーグ戦やトーナメントの各大会、それぞれの大会に向けたトレーニング、体力強化など1年間、ハードな日程が続く。その上に、代表チームの活動も加わった1年。「タフだった」と振り返りつつ、それを乗り越えたことで精神的にも肉体的にも成長した。
「バスケから逃れる考えはなかった」
小学校低学年でバスケを始め10年余り。愛知・桜花学園高校の2年時を一番苦しかった時期に挙げた。全国から精鋭が集まる競争が激しいチーム。何度もけがをし、戦線を離脱した。その間に有望な1年生がチームに加わり結果を残した。
チームが結果を残すうれしさの反面、悔しさ、焦りばかりを感じ苦しんだ。それでも、「バスケから逃れる考えは自分の中になかった」と言う。父・俊彦さんは、一流選手が切磋琢磨するプロ野球の世界に身を置き、母・美加さんはバレーボール女子日本代表としてオリンピックの舞台に立った。そんな両親から「上を目指してやり遂げろとじゃないですけど、そういうことを言われていた」と話し、「中途半端には終われない」と心に刻み、バスケの道で高みを目指し、歩んできた。
大学で成長を実感 「視野も広がった」
高校から直接社会人チームへ進んだ先輩や同級生がけがをしているのを見て、大学を進路に選んだ。東京医療保健大で厳しいフィジカルトレーニングをこなし、「フィジカルは負けないぐらいついた」と自信を見せる。国際大会の舞台にも立ち、体格に勝る外国人選手を相手に、スピードや技術、運動量で対抗できるという手応えもつかんだ。大学に戻っても生かせているといい、さまざまな面でレベルアップを実感している。
いろいろな人と出会い、国際大会にも出場するなどし、視野や考え方も広がった。チームではセンターを務めるが、「大学では大きくても、外に出ればまだまだ小さい。守りにくい選手、オールラウンダーになりたい」と、すべての面で実力アップを誓う。3ポイントシュートにも挑戦中で、ドライブやジャンプシュートにもさらに磨きをかけている。
五輪はまだ先。大学のタイトルをすべて取りたい
東京五輪が2年半後に迫り、周囲から「東京五輪」と騒がれるが、「オリンピックはまだまだ先」と本人は冷静だ。オリンピック選手だった母からは「出られるチャンスがあるなら目指したほうがいいよ」と言われたことがあり、五輪は心の中にはある。しかし今は五輪について、大学を出てWリーグの選手となり、代表に絡めるようになったら目指すようになるところと捉えていて、「まだ大学2年生。大学で結果を残したい」ときっぱり。2年連続の大学日本一をはじめ、リーグ戦、トーナメントと大学のタイトルを1つ1つずつ積み重ねていくことに狙いを定めている。
母からもらった「自分らしく」
成人の節目を迎え、「10代とは違い周囲の見る目も変わってくる」と気を引き締める。加えて、日の丸を背負った選手として、周囲からの言動も注目される立場になる。「いろいろなことを吸収して大人になれたら」
大切にしている言葉は「自分らしく」。取材で座右の銘をよく聞かれるようになったが、決まった言葉はなかった。約1年前、母の座右の銘が気になり尋ねると、「自分らしくが一番大事だよ」との言葉が返ってきた。その言葉の通り、自分らしいプレーを貫いていく考えだ。
自分に厳しく取り組む父の姿勢、母からの言葉…「スポーツでは両親から刺激しかもらっていない」と話す。両親からの刺激、自分がこれまで経験してきたことを「自分らしく」コートで表現していく。