母校の富岡西高校を率いて通算12年目、監督生活33年目で初の甲子園切符を手にした。21世紀枠での選抜出場決定に「選手が本当によく頑張ってくれた」と感無量の表情を浮かべた。

 昨年12月、富岡西高は3度目の四国地区の21世紀枠候補校に推薦され、選抜出場へ期待が高まった。発表日が迫るにつれ「甲子園に行けなかったらこの子らはどうなるんだろう」と心配は尽きなかった。

 小学4年で野球を始めた。「父が監督だったので」という理由だったが、阿南一中時代から野球に没頭。四国大会や甲子園の試合を見て「高校野球の指導者への憧れが芽生えた」と振り返る。

 富岡西高では左腕エースで臨んだ3年生の夏にはベスト4入り。国学院大卒業後は母校に戻り、監督就任1年目で県秋季大会準優勝で初の四国大会へ導いた。副部長だった2008年には21世紀枠候補校となったが、聖地には届かなかった。

 6年前に耳にした「野球部出身者は指示待ちだ」との言葉が、選手の自主性を重んじる指導法の根底にある。練習メニューは選手が主体的に組む。試合でもここ一番以外は選手に状況判断を任す「ノーサイン野球」を貫く。休日の練習は校内や学校周辺の清掃活動から始まる。「野球を通し社会で活躍できる人間になってほしい」と話す。

 野球漬けの日々の中、趣味といえるのは阿南市長生町の自宅での庭いじり。剪定(せんてい)や草抜きに「楽しくて時間を忘れる。年かな」と笑う。57歳。