プレーの改善点や反省点を話し合う富岡西の選手たち=同校

 紅白戦を終えた富岡西野球部の選手が輪を作り、話し合いを始めた。「ランナーが走ったのに気付くのが遅れてバットを出せなかった」「フライの処理でお見合いをしてランナーを進めてしまった」。輪の中心に監督はいない。選手だけのミーティングで反省点や改善点を次々と出し、チーム内で考えを共有していく。

 富岡西は選手が自ら考え、主体的に動く野球を目指す。その一つにノーサイン野球がある。試合中、監督は盗塁や犠打の指示を出さず、選手の判断で試合が進む。相手の隙をどう突くか、選手は常に観察して考える。打者は味方の走者の動きにも注意を払わなければならない。

 きっかけは6年前の高川学園(山口)との練習試合だった。監督が動かす野球にはセオリーがあるが、ノーサインを実践する高川学園は予想外のプレーをする。小川監督は衝撃を受けた。

 富岡西は地元の阿南市や近隣の町から通う選手だけでチームが構成される。「(広く選手を集める)私学と同じことをしていても勝てない。これだ」と導入を決めた。

 同じころ、知人から「野球部出身者は指示待ちのことが多い」と指摘された。野球を通じて社会で活躍できる人間を育てようと指導してきた小川監督にとってショックだった。知人の言葉もノーサイン野球にかじを切る動機となった。

 監督が指示しない野球は簡単ではない。一人一人が状況を判断し、連係して試合を動かさなければ点は入らない。

 どの選手も入部当初は戸惑う。中西副主将は「何をしていいのか分からなかった。先輩たちの練習を見て学んだ」。失敗することも多く、遊撃手の粟田は「選手同士で意見が対立することがあった」と振り返る。

 ノーサインでは一つ課題が出ればさまざまな可能性を出し合い、意見を共有して解決していく。坂本主将は「何かあればすぐ話し合う。自然とコミュニケーションをとるようになる」と効果を口にする。

 練習メニューも選手が考える。チームに足りない練習は何か、意見を出し合い、中西副主将が昼までにメニューを監督に提案する。中西副主将は「チームを長期、短期で見て考えるようになった。やらされる練習より向上する」と歓迎する。

 監督は時折、アドバイスするだけ。主体的に考える選手は試合で伸び伸びとプレーし、ミスにも動じない。チームに好循環が生まれ、選手は徐々に力を付けていった。

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 富岡西が創部120年目で初の甲子園切符を手にした。挫折と試行錯誤を重ねて成長する現チームの強さを探った。