阿南市羽ノ浦町中庄の児童養護施設「宝田寮」に「ほたるの塔」と呼ばれる慰霊塔がある。子どもたちと交流していた客室乗務員が1964年の航空事故で亡くなり、追悼するとともに友情の証しとして建てられた。半世紀以上の時を経て、塔の存在を知った男性が取り持った縁で、航空会社の社員と子どもたちの交流が復活している。
宝田寮は62年から2年間、都会の子どもたちに見てもらおうと、飼育していたホタルを東京の児童養護施設に届けた。徳島から東京まで当時の日東航空が運び、客室乗務員の麻畠(あさはた)美代子さんが担当した。子どもたちは麻畠さんを「ホタルのお姉さん」と慕い、その後も手紙を送り合うなどして絆を強めた。
悲劇が起こったのは、64年2月18日。午前8時すぎ、大阪空港発徳島行きの飛行機が離陸直後に空港の東南約1キロ地点に墜落し炎上した。麻畠さんは乗客を助けようとしたが、直後に機体が爆発したことにより殉職した。21歳の若さだった。
子どもたちは、麻畠さんとの絆を形で残したいと寮長に相談。募金活動で約30万円を集め、66年12月にホタルの光をイメージした水銀灯付きの「ほたるの塔」(高さ約6メートル)が建てられた。
以来、目立った動きはなかったが、2015年8月、航空機愛好家の小林幸也さん(59)=大阪府豊中市、大学職員=が、神戸市にある麻畠さんの慰霊碑を訪問。碑文で「ほたるの塔」の存在を知り、詳しい建立の経緯を聞こうと16年9月に宝田寮を訪れた。
麻畠さんと子どもたちの友情秘話を聞いた小林さんが「もう一度絆を取り戻してあげたい」と一念発起。日東航空の後身に当たる日本航空の子会社「ジェイエア」に知人がいたため、交流事業を提案し快諾が得られた。
第1弾として、ジェイエアが17年3月に大阪空港に子どもたちを招待した。子どもたちは空港内を見学したり、パイロットや客室乗務員と交流したりした。12月2日には、阿南市那賀川町今津浦の那賀川B&G海洋センター体育館に日本航空とジェイエアの社員が来訪。紙飛行機を一緒に作り、飛行距離や時間を競うゲームで親睦を深めた。今後もさまざまな形で交流していく。
子どもたちは「絆のおかげで再び交流ができてうれしい」と笑顔で話し、12月の交流に参加した日本航空の高田寛さん(52)=オペレーションセンター企画部査察運航管理者=は「参加するまでこんな友情があったとは知らなかった。この縁を大切にしていきたい」と語った。