喜多川歌麿の美人大首絵が江戸で大ブームとなる中、歌麿のライバルとして存在感を見せたのが鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)(1756~1829年)だった。今回取り上げるのは、代表作の「青楼美撰合(せいろうびえらびあわせ)」(3枚組)のうち、「初買座敷之図(はつかいざしきのず) 扇屋内瀧川(おうぎやないたきがわ)」。
気品ある女性美 追求
喜多川歌麿の美人大首絵が江戸で大ブームとなる中、歌麿のライバルとして存在感を見せたのが鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)(1756~1829年)だった。今回取り上げるのは、代表作の「青楼美撰合(せいろうびえらびあわせ)」(3枚組)のうち、「初買座敷之図(はつかいざしきのず) 扇屋内瀧川(おうぎやないたきがわ)」。
吉原の遊郭「扇屋」の花魁(おいらん)・瀧川をモデルに描き、栄之独自の画風が顕著に表れた一作だ。従来の全身美人画よりも細身の立ち美人を描き、緻密な構図と優雅な配色で、気品ある理想の女性美を追求した。にじみ出るように内面の官能美を掘り下げた歌麿とは、対照的だ。
旗本でありながら34歳で長男に家督を譲り、絵師に転身した栄之。武家出身らしく格式を尊び、無名の遊女も描いた歌麿に対して、花魁などの格式ある高級遊女しか描かなかった。また、歌麿発案の高価な雲母摺(きらず)りを取り入れる一方、歌麿が得意とした大首絵ではなく、あくまで全身像にこだわった。
国際浮世絵学会の中右瑛(なかうえい)常任理事は、栄之について「優秀な門人を多数輩出し、人を育てる才能もあった。同じく弟子の多かった歌麿と張り合っていたようだ」と話している。
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浮世絵展「写楽・歌麿とその時代 美人画と役者絵」は22日まで、徳島市のあわぎんホールで。
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