6年連続で日本野球機構(NPB)に選手を送り込んでいるチームのかじ取りを託された。「多少プレッシャーはあるが、良い流れを切らさないよう頑張りたい」。藍色のユニホームに袖を通し、力強く語った。

 山梨学院大付高から1992年、ドラフト3位でオリックスに入団。右腕から繰り出す速球で「ロケットボーイ」の異名を取った。阪神、楽天、広島でも先発や中継ぎを担い、通算成績は13勝23敗2セーブ。

 2009年に引退し、横浜で打撃投手を務めた後、12年から楽天のベースボールスクールで小中学生を指導。そこでコーチングの難しさを学んだ。「同じことを教えるにも選手によってアプローチを変えなければ伝わらない。すごく勉強になった」と実感を込める。

 目指す指導者像はオリックス時代に師事した故仰木彬監督。「大いに働き、大いに遊べというオンとオフのメリハリがはっきりした人だった」と懐かしむ。徳島の選手にも同じように接する方針で「人生を懸けて勝負しているからこそ、息抜きも必要」と話す。

 「野球選手である前に一人前の社会人であるべきだ」との考えから、普段の言動の大切さを説く。「ユニホームを脱いでからの時間の方が長い。幸せな人生を歩んでもらうためにも、しっかり伝えたい」

 地鶏が好物で「徳島の阿波尾鶏も食べてみたい」と笑う。仙台市の自宅に妻と娘2人を残し、単身赴任。神奈川県出身。44歳。