戦後、阿波踊りは「平和の象徴」として発展を続けてきた。踊りに懸ける天水たちの情熱は、国籍や人種、宗教、言語を超えて人々の心を一つに結ぶ。徳島市の阿波踊り(12~15日)に向け稽古に励む踊り子たちの中には、さまざまな国や地域から訪れている外国人も少なくない。踊りに魅せられた「異国からの天水たち」の姿を追った。

無 双 連

張南さん(中国) イー・ダラリンさん(米国)

阿波踊りの練習に汗を流す張さん(左)とダラリンさん=徳島市役所前の市民広場

 日暮れとともに、徳島市役所前の市民広場にぞめき囃子(ばやし)が響く。無双連の踊り子たちの中で、真剣な表情で練習に励むのが、中国安徽(あんき)省出身の張南さん(37)=徳島市中央通1=と、米ハワイ州出身のイー・ダラリンさん(23)=同市中昭和町1。2人とも県国際交流員で、県職員に誘われて5月に入連した。

 「聖闘士星矢」「キャッツ・アイ」など、日本のアニメ文化に興味があった張さん。安徽省の大学を卒業後、上海の大学院や日本語学校で日本語を学び、4月に来日した。

 中国で今、大流行しているのが「広場ダンス」だ。夕食後に公園や空き地に集まり、音楽に合わせて踊りを楽しむ。「中国人はみんなで集まって体を動かすのが大好き。私も阿波踊りを本気でやってみたいと思った」

 無双連の先輩からは「阿波踊りは足が7割、手が3割。足の動きがしっかりできていると、自然と踊れるようになる」と教わった。張さんは「『千里の道も一歩から』という日本のことわざがある。一歩一歩の足運びを大事に取り組みたい」と汗を拭った。

 2016年8月から県で働くダラリンさんは、日系米国人の母を持つ。「自分のルーツを学びたい」と中学生の頃から日本語を学び始め、大学生だった19歳の時に大阪に1年間留学。そこで阿波踊り公演を初めて見て感動した。「踊りの動きがそろっていてとても美しく見えた」

 実は運動が苦手。これまで取り組んだバレーボールやヒップホップダンスは、いずれも途中で諦めた。でも阿波踊りだけは続けていきたいと思っている。

 「くじけそうになっても、連の仲間がいつも励ましてくれる」とダラリンさん。「しっかり前を見て、前進しながら踊るのが阿波踊り。これは人生に対する考え方にも通じることで、ポジティブなメッセージだと受け止めたい」と表現する。

 天水を極めるための長い道のりを歩み始めた張さんと、阿波踊りに生き方を重ねるダラリンさん。それぞれの熱い思いを胸に、きょうも練習に汗を流す。

阿 呆 連

ステファン・カルンガルさん(ケニア)

「阿呆調」と呼ばれる激しい踊りで知られる阿呆連で、練習に励むカルンガルさん=徳島市の藍場浜公園

 豪放磊落(らいらく)といわれる「阿呆調」の踊りに、がっしりとした体格と長い手足がよく映える。慣れた足運びで阿呆連の練習に参加するのは、ステファン・カルンガルさん(47)=徳島市元町1、徳島大講師。練習前には連員一人一人と握手を交わし、あいさつするのを心掛けているナイスガイだ。

 アフリカ・ケニア出身。1998年に来日し、徳島大で知能情報工学を学んだ。毎夏、大学の国際交流連で踊っていたが、演舞場での有名連の踊りに圧倒され、「いつかは自分も」と憧れを募らせていたという。

 そんなカルンガルさんに2008年、思わぬ出会いが訪れた。阿呆連の森一功(かずのり)副連長(69)とスーパー銭湯で偶然知り合い、連に誘われた。

 連に入って感じたのは、連員の技術の高さと誠実な姿勢だ。中学生を含む連員全員が練習を休まず、踊りに向き合っている。「阿波踊りに対する敬意みたいなものを感じる。阿呆連の一員として踊れることを、誇りに思う」と目を輝かせる。

 ケニアも踊りが盛んで、カルンガルさんの出身のキクユ民族には「モヴォコ」と呼ばれる伝統舞踊がある。左手に盾を、右手に小剣を持ち、民族衣装を身に着けて踊る。部族間のかつての争いを再現した戦闘舞踊の意味合いを持つという。

 この「モヴォコ」と阿波踊りには、いくつかの共通点がある。阿呆連の男踊りが手に提灯を持って踊るのに対し、「モヴォコ」でも盾と剣を持つ。右手と左手を交互に出し、シンプルなリズムを基調とすることなどだ。

 阿呆連に加わり、10年目となるこの夏の目標は「フルパワーで踊ること」。実は昨夏、マラソンが原因で膝を痛め、踊りに参加できなかったため、演舞場へ繰り出すのは2年ぶりだ。「楽しく踊っているところを見てもらいたい。勢いよく跳ねる場面では、誰よりも高くジャンプしたい。本番が待ち遠しいね」と胸を高鳴らせている。

無 作 連

M・アリッサさん(オーストラリア)

C・アレクサンドラさん(ニュージーランド)

無作連に加わり、女踊りの練習に励むアリッサさん(左)とアレクサンドラさん=徳島市津田海岸町

潮の香りがほんのりと漂う、徳島市津田海岸町の県木材団地協同組合連合会駐車場。一心に練習に励む無作連の中で、ひときわ背の高い2人の女性が目に付く。共に外国語指導助手(ALT)で、オーストラリア出身のモリシー・アリッサさん(27)=同市庄町5=と、ニュージーランド出身のケイスネス・アレクサンドラさん(26)=同市出来島本町3、愛称アレックス=だ。「徳島伝統の踊り文化を体験したい」とほぼ毎晩、汗を流す。

アリッサさんは2015年7月に来県。この年は県内在住の外国人らでつくる「あらそわ連」に加わり、演舞場に踊り込んだ。「あちらこちらの路上でみんながワイワイと楽しそうに踊っていて、その雰囲気がすごく気に入った」

あらそわ連での1夜限りの乱舞に物足りなさを感じていたところ、無作連にいた日本人の友人に誘われ、16年5月に入連。練習に励み、昨夏は男踊りで演舞場に繰り出した。

今夏は女踊りに挑戦しており「女踊りは見た目にも美しい。徳島で暮らしているのだから、ここに住むみんなと同じ経験がしたい」と意気込む。

一方、16年8月に来県したアレックスさんはアリッサさんの誘いで17年6月に無作連に入った。

母国ニュージーランドは、ラグビーの試合前に選手が披露することで知られる先住民マオリの舞踊「ハカ」がある。「ハカも阿波踊りも同じ伝統舞踊だけど、アグレッシブなハカに比べ、阿波踊りはエレガント」と笑顔を見せた。

新しいことに挑戦するのが好きで、好奇心旺盛。編みがさや着物、げたといった女踊りの衣装にも興味津々で「あの衣装を着て早く演舞場で踊りたい。ずっと手を上げているのは大変だけれど、本番で楽しめるよう頑張る」と話す。

阿波踊りの魅力に心奪われ、時間を忘れて稽古に励む女性コンビ。流れる汗も拭わず軽やかに舞う2人は、すっかり天水の表情だった。

阿 波 扇

L・イーヴさん(カナダ)

盧致玩さん(韓国)

連のトレードマークの扇を手にポーズを取る盧さん(手前)とイーヴさん=徳島市の新町川水際公園

 

 新町川水際公園の阿波扇の練習会場で、カナダ出身のラクロワ・イーヴさん(49)=徳島市東新町2、半導体関連会社経営=と、韓国出身の盧致玩(ロチワン)さん(41)=北島町鯛浜、自動車整備士=が扇を回す稽古を続けていた。ともに連に入って3年目。演舞場を彩る伝統の扇さばきを身に付けようと懸命だ。

イーヴさんは「あちこちで日本の祭りを見たが、誰もが参加でき自然と人が交ざり合えるのはそうない」と阿波踊りの魅力を語る。開幕を待ち望む街の雰囲気も、クリスマス前の欧米の高揚感に似ていて気に入っている。

2000年から徳島大で半導体技術を研究する傍ら別の連で締太鼓に打ち込んでいたが、自宅が阿波扇の練習場に近かったことから連員と打ち解け、練習に参加するようになった。「連の飲み会に参加しても、すぐ踊りの話題になる。踊りに懸けるみんなの情熱が好きなんだ」

盧さんは生き方まで阿波踊りの影響を受けた。00年に来日し、長野県の語学学校で日本語を習得。03年ごろから徳島で働き始め、妻(34)と出会った。妻は阿波扇の踊り子。自然と連に入り、今では長男騎士(ないと)さん(13)、次男剣士(けんと)君(11)の家族4人が所属している。今年は剣士君が演舞場でデビューする。

盧さんは「来日時に今のような人生は想像できなかった」と振り返る。「連に入って家族ができただけでなく、いろいろな人とつながりができた。輪が広がるのが阿波踊りの魅力なのかな」と笑みを浮かべた。

「手をもっとしなやかに動かしたい」「他の踊り子と扇を回すタイミングを合わせたい」。鮮やかな青い扇がチョウのようにひらひらと舞い、花のように鮮やかに開く―。憧れの扇の舞に魅せられた2人の挑戦が続く。

蜂 須 賀 連

長谷川群さん(中国)
踊りの練習をする長谷川群さん(中央)=徳島市の城西中学校

中国・広西チワン族自治区出身の長谷川群(チュイン)さん(48)=兵庫県洲本市=は、蜂須賀連に入って10年目の夏を迎えた。練習のたびに、自宅のある淡路島から徳島市まで片道1時間40分かけて、夫の孝さん(68)と一緒に車で通う努力家。女踊りのメンバーとして、連に欠かせない存在となっている。

2006年3月に孝さんと結婚。その年の夏、中国で休暇を過ごしていた際に、阿波踊りが大好きな孝さんが見せてくれた写真に目がくぎ付けになった。鮮やかな着物を着た、はじける笑顔の踊り子。孝さんは「踊りを見て音楽を聴いたら自然と手足が動いて踊りたくなるよ」と説明した。

どんな踊りなのかは分からなかったが、翌年のお盆に初めて阿波踊りを見て、孝さんの言葉に納得した。数カ月後、迷うことなく夫婦で入連した。

初めは日本語も分からず友達もいなかったが、連員が身ぶり手ぶりで一生懸命に踊りを教えてくれた。連員とも仲良くなり、今では長時間の移動も気にならないくらい練習に行くのが楽しみだ。「踊っている時も楽しいし、休憩時間に仲間と交流するのも好き」と笑顔を見せる。

孝さんは5年前に引退したが、「慣れない道や高速道路を1人で運転させるのは心配」と、毎回、ハンドルを握って群さんを送迎している。群さんの練習中は、公園で散歩したり、車中で読書をしたりして待っている。帰宅すると午後11時半を過ぎるが、毎週木曜日の練習は欠かさず参加している。

孝さんは「阿波踊りも日本での生活も本当によく頑張っている。本人が続ける限り、応援し続けたい」と話す。群さんは「大好きな阿波踊りを続けられるのも主人のおかげ。今年も笑顔で演舞場に踊り込みたい」と目を輝かせた。