阿南市と徳島県教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけ、赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂(しんしゃ)が採掘されていた若杉山遺跡(同市水井町)で、辰砂を採掘していた坑道が見つかったと発表した。これまでは露天掘りなどの手法が取られていたとみられており、より高い技術が必要な坑道で採掘されていたことは分かっていなかった。日本最古の坑道の可能性があり、今後、詳しく調べる。
遺跡は、太龍寺山(標高618メートル)の標高約140~250メートル地点の斜面にあり、坑道は約250メートルの地点で見つかった。奥行きは約14メートル、高さは約70~90センチある。
市が国史跡指定に向けて昨年8月から行った調査では、入り口付近から辰砂の原石が22点、石きねが10点、内部から石きねが12点が見つかった。このため、辰砂の鉱脈を含む岩を横穴式に掘り進んだ坑道だと断定した。
入り口から約50メートル離れた斜面では、採掘する際に出たがれきなどが捨てられた「ズリ場」も確認された。その付近で弥生土器の破片が発見されており、坑道も弥生時代に使われていた可能性があると判断した。
市などは来年度以降、坑道内部の調査を本格化させ、時代の特定につながる土器などを探す。付近で他の坑道の有無も調べる。
現在、日本最古の坑道は奈良時代に銅を採掘していた長登(ながのぼり)銅山(山口県美祢(みね)市)とされている。若杉山遺跡調査検討委員会の大久保徹也・徳島文理大教授(考古学)は「この時期は、むき出しの岩を石きねで砕くなどして辰砂を採取していたと考えられていたため、これまでの考え方を覆すかもしれない」と指摘している。