【上】宣伝飛行に使った小型飛行機(四国航空提供)【下】忠義堂人形店=吉野川市山川町

【上】宣伝飛行に使った小型飛行機(四国航空提供)【下】忠義堂人形店=吉野川市山川町

 晴れた冬の日、空から降り注ぐ「こんにちはー!」の声。徳島で生まれ育った人なら知らない人はいない、スピーカー付きの小型飛行機を使った宣伝の風景だ。でも最近いつ聞いただろう…? 徳島で宣伝飛行といえば誰もが思い浮かべる、吉野川市山川町の「忠義堂人形店」を訪ねた。

 忠義堂は、今年創業100年を迎える老舗人形店。80年前にすでにチラシを配るなど、早い時期からテレビやラジオのCM、新聞広告、折り込みチラシといったさまざまな媒体で宣伝を展開してきた。3代目社長の麻野忠昭さん(57)が応対してくれた。

 飛行機から聞こえるおなじみの宣伝文句は「山川の忠義堂人形店でございます。こんにちはー!」「ぜひどうぞ♪」。女性の明るく高い声で繰り返し流れるアナウンスは、遠くまでよく聞こえ、仕事をしていても耳に入る。子どものころ、独特の語り口をまねしたことがある人も多いだろう。

 「忠義堂といえば飛行機ですが、あの声をしばらく聞いていない気がして…」と質問。すると、「そう、今やってないからね。やめて数年になるかな」。えーっ… いきなりショックな回答に固まってしまった。

 インターネットの隆盛で、宣伝飛行が非効率になったからだろうか、時代の変化ならしょうがない…と思いかけたが、どうやら違うらしい。依頼していた会社が宣伝飛行事業を取りやめたからだそうで、社長は「もう飛行機が飛ばせないからね。事業が続いていたら間違いなく今でも飛行機を飛ばしている。それくらい効果絶大です」と断言する。

 宣伝飛行を始めたのは2代目の忠雄社長の時代で1980年ごろ。以来、30年以上に渡って、9月から4月半ばまでの半年間、水曜・金曜・土曜の週3回、飛ばし続けた。高度は約300メートル。忠義堂の上空からスタートし、徳島県内全域と香川県の高松以東の地域を3コースに分けてくまなく飛んだ。

 おなじみの声は高松市の元アナウンサーの女性で、ひな人形、五月人形など時期に合わせて6パターンを録音していた。

 忠昭社長は「当時は交通安全など行政のキャンペーンやイベント告知で単発の宣伝飛行はあったと思うけど、店の宣伝ではうちが先駆けだったんじゃないかな。これだけの頻度で長年続けてきたのは全国的にもまれだと思う」と話す。


 忠義堂が宣伝飛行を依頼していた四国航空(高松市)によると、宣伝飛行事業は1956年から2011年まで行われ、依頼が特に多かったのは1982~1985年ごろだという。

 忠義堂のほか、眼鏡店や造園業者、徳島では石材店などが宣伝飛行を利用し、香川県や岡山県の自治体から選挙投票啓発や香川県警といった行政からの依頼もあった。それでも「週3回を30年以上という忠義堂さんはかなり多いです」と担当者は語る。

 なぜ、宣伝飛行事業をやめたのか。

 「騒音に厳しい目が向けられる時代になり、依頼も減少傾向にあることから、事業を取りやめることになりました。全国的にも宣伝飛行をする会社は減少しています」

 香川県では2009年4月に「香川県生活環境の保全に関する条例」が改正された。午後5時から翌午前10時まで(休日は正午まで)拡声器を使用しないこと、同一地域の上空で2回以上旋回させて拡声器を使用しないこと、地上で65デシベル以下の音量とすることなどを定めた「航空機による商業宣伝に関する規制」が施行されたことも大きなきっかけになった。

 人形店を訪れるのは、一生に何度もあることではない。忠昭社長は「節句の人形を買おうとする時、人形店といえば忠義堂と思い出してもらえるように、高頻度で長い期間続けることが重要だと考えた」と宣伝飛行を続けた理由を振り返る。

 その効果は絶大で、「今日飛行機の声が聞こえたから」と来店する客が相次ぎ、社員が営業で訪ねても「ああ、飛行機のお店」と認知度は抜群。徳島で「忠義堂人形店」の名を知らない人はいないほど浸透している。節句の人形は祖父母が孫のために購入することも多く、インターネットを使わない高齢者世代にPRするにはうってつけだった。

【減少する宣伝飛行】
全国的にも宣伝飛行は減少している。国土交通省「航空輸送統計調査年報」によると、全国の航空会社の広告宣伝飛行時間の合計は、1989年には2万時間を超えていたが、年々減少し、1995年には1万900時間とほぼ半減。2001年には4905時間となり、2006年には2407時間に。四国航空が宣伝飛行を取りやめた2011年は1463時間、2012年以降は500時間前後で推移している。