テレビに冷蔵庫、洗濯機、自動車もない。月々の電気料金は基本料金に加え、電球やラジオなどにかかる20~30円。便利さが追求される現代にあって、あえて不便な暮らしを選んだ人がいる。上勝町福原の中村修さん(71)だ。
月ケ谷温泉から車で山道を上っていくと、7、8分で着く中山地区。木造2階建ての家は天井がかなり低く、頭が裸電球にぶつかりそう。それもそのはず、元々は牛小屋。ガラス窓はない。つっかえ棒で開けた木窓から、風が直接吹き込んでくる。
この日、日中の気温は6度。昨晩、屋外に積もった雪は解けきっていない。それでも、さほど寒さを感じない。土で造られたかまどの火が、足元を温めてくれているからだ。
「慣れれば、簡単だよ」。中村さんは竹筒を吹き、火加減を細かに調整する。やかんで沸かしてくれたお茶を飲むと、体全体がじんわり温まった。
中村さんは浜松市出身。高度経済成長期のまっただ中、サラリーマン生活を送っていたが、旺盛な好奇心を抑えられず、27歳で放浪の旅に出た。
欧州、アジアの各国を旅し、特にネパールのチベット系少数民族とは10年以上、一緒に生活をした。エベレスト街道にある標高2500メートルの地域はインフラすら十分でないが、厳しい自然の中でも心豊かに生きる人々に憧れた。
43歳で帰国し、知人から紹介されて移り住んだのが上勝町だ。「現金を稼ぐために人生を費やすのはもったいない」。特にこだわりはなかったが、そんな生き方ができる場所と思った。
ネパールで習得した木版画や自然に囲まれた暮らしを楽しむために定職には就かなかった。年に2カ月だけアルバイトし、稼いだ60万円ほどで1年間やりくりする生活を始めた。
そんな話をしながら、中村さんとネパールの野菜カレー(タルカリ)や菜っ葉の炒め物(サグ)を作った。食材は歩いて約40分の商店で買ったり、自家菜園で育てたり。冷蔵庫が必要で、値段の高い肉は買わない。「経済的ベジタリアンとでもいうのかな」と中村さん。
棚には香辛料が50種類ほど並ぶ。ジャガイモやタマネギが入った鉄鍋にカルダモンやターメリック、クミンを次々と加える。スパイシーな香りが充満する台所でまきをくべていると、いつの時代のどこの国にいるのか分からなくなりそうだった。
熱々のカレーや玄米、総菜は一皿に盛り付ける。中村さんの勧めで、ネパールの人々のように手で食べてみる。指で混ぜながら食べるので、味を調整できて楽しい。静かな山々を眺めながらの食事は、何とぜいたくな時間か。
皿は、沢から直接引いた水で洗う。かまどで出た灰を洗剤代わりにスポンジでこすると、油汚れはきれいに落ちた。冷たさで、手はすっかりかじかんでしまったが・・・。
「便利さを目指すのはきりがない。自分はここで良しとしただけ」。物を持たない暮らしは感性を鍛えてくれるという。朝、布団から出ると小さな気温の変化で、刻々と季節が移ろいでいるのを感じるそうだ。
空調の効いた部屋で過ごし、歩いて5分の距離もつい車に乗ってしまう。そんな生活で大切なものを見過ごしてきたかもしれない。