かつて小松島港駅があった小松島港へまっすぐ伸びる2本の亀裂。不思議なことに、線路跡と位置はほぼ同じだ=小松島市小松島町新港

かつて小松島港駅があった小松島港へまっすぐ伸びる2本の亀裂。不思議なことに、線路跡と位置はほぼ同じだ=小松島市小松島町新港

風が心地良い。岸壁に打ち付ける波の音が聞こえる。かつて「四国の東玄関」と言われ、阪神地方との間で無数の貨客が行き来したにぎわいはなく、釣り人がさおを並べて静かにたたずんでいる。

港町で知られた小松島市を象徴する徳島小松島港本港地区(同市小松島町)。かつてここを走っていた鉄道・小松島線のことを覚えている人は少なくなった。1913(大正2)年に運行を開始し、廃止されたのは1985年。牟岐線の中田駅(同市中田町)から東に延びるわずか1・9キロの路線は、こう呼ばれた。「日本一短い路線」

小松島港駅があった場所は更地になっている。往時の姿をとどめるのはトタンに覆われた国鉄時代の線路補修施設くらい。

昭和30~40年代にはここで多くの人が列車を降り、船に向かった。耳を澄ませばこんな声が聞こえてきそうだ。「ちっか、いらんでぇ」。40代以上の人なら懐かしいだろう。行商のおばさんが特産の竹ちくわを売り歩いた小松島港ならではの光景だ。

本港地区から廃線跡の道路を中田駅方面に歩くと、アスファルトのひび割れ2本に出合った。幅約1・1メートルで、長さは約20メートル。まるでレールのように並行して伸びる。不思議なことに、線路跡と位置はほぼ同じ。

東部県土整備局の港湾担当者は、当時の工事資料は残っていないとしながら「舗装の際にはレールも枕木も撤去している。線路跡が影響しているはずはない」と首をかしげる。2本のひび割れが軌道とほぼ同じ幅なのは偶然の産物なのか。

小松島駅があった場所には、市が整備した「小松島ステーションパーク」が広がる。駅舎を模したあずまやに掛けられた「小松島駅」の看板は実際に使われていたもの。そばにはC12形蒸気機関車や客車が展示されており、鉄道ファンにとって魅力的なスポットとなっている。

西へ進むと、日峰通りを境に遊歩道が延びている。市が廃線跡に設けた自転車歩行者専用道路で、距離は中田駅までの1410メートル。自転車道と歩道は、緑地帯で分割され、互いに安全な通行ができる。道沿いにはサクラやサザンカ、アジサイなど四季折々の花々が植えられ、散歩する市民らが行き交う。

日峰通りから約200メートル進んだ地点で目に入るのが、高さ6メートルほどの鉄道用信号機だ。使用していたものがそのまま残ったものの、柱とはしごが黒と白のペンキできれいに塗り分けられている。いかにも最近施された感じ。しかし道を管理する市都市整備課は「何もしていない。誰が塗ったのだろう」。

柱全体に広がったさびを見かねたのだろうか。アスファルトのひび割れに続くミステリー? 不思議な思いが募る。


遊歩道沿いに現存する鉄道用信号機。ここがかつて鉄道だったことを今に伝えている=小松島市中田町新開
中田駅では牟岐線の列車が止まっていた。街路樹や屋根付き駐輪場を備えた広場は、かつて駅長の宿舎があったという。駅前で雑貨店を営む村井好子さん(75)は「今は無人駅だが、小松島線があった頃は駅舎で10人くらいの駅員が寝泊まりしていた」と振り返る。

さらに当時の話が続く。「自家用車で通勤する人が今ほど多くなかった昭和40年代が一番にぎわっていたのではないかしら。今は通学に利用する生徒さんが多いわね」。駅前を行き来する生徒たちに温かい目を向けた。

たかが1・9キロ、されど1・9キロ。小松島の盛衰の歴史が詰まり、時を超えた人々の息吹が重なる道である。