浄土真宗本願寺派の得度を受けたのは41年前、24歳だった。以来、門徒を抱えた寺の住職になるのを目指さず、身一つで布教活動を進めてきた。2009年からは大阪府中央部の和泉市に称名(しょうみょう)寺布教所を設け、地域に根付いた活動を展開している。「親鸞聖人の教えを広く伝えていきたい」と笑顔を浮かべる。
 
 徳島市に生まれ、5歳の頃に堺市へ家族で移転した。宗教と関係ある家ではなかったが、信心深い母の影響で浄土真宗に触れるように。「歎異抄(たんにしょう)で親鸞聖人は『火宅(この世は)無常の世界』『真実あることなき』と喝破し、『念仏のみぞまこと』と結んでいる。自分のルーツを知り、その通りだとの思いに至った」
 
 先祖は三加茂町(現東みよし町)で代々続いた藍作農家で、町史にも記載があるほどの大藍師だった。しかし栄華は長く続かず、化学染料の普及などで生まれる前には家業は傾き、最後は一家で徳島を離れなければならなくなった。「無常の世界」を歩む支えとなったのが宗教だった。
 
 大学院を修了した後、大阪府内の高校の臨時教員を務めながら布教活動を精力的に展開。デパートの会議室などを借りて教えを説くとともに、日本各地へ赴き講話をこなした。執筆も手掛け、書籍を通じて主張を訴えている。「オウム真理教が事件を起こし、宗教に対する風当たりが強くなった時期もあった。それでも地域住民や同業者らの理解を得ながら、一歩ずつ進むのみだ」と力を込める。
 
 古里で暮らした記憶は遠いものの、ルーツを探るうちに徳島の魅力を再確認することが多いという。「緒方洪庵に学んだ阿波徳島藩医の高畠耕斎、浮世絵師の東洲斎写楽ら徳島ゆかりの人物はいろいろいるのに、効果的に生かしていないように思う。もっと積極的にアピールするべきだ」と訴えた。


 いとう・ちじょう 龍谷大文学部を卒業し、英国留学を経て同大大学院文学研究科修了。高校の講師を務めながら本願寺派布教使として活動した。日本ペンクラブ会員。著書は「妙好人めぐりの旅 親鸞と生きた人々」(法藏館刊)など。和泉市在住、65歳。