「団塊の世代」の名付け親、作家として、経済評論家として名をなし経済企画庁長官も務めた。それでも終生誇りにしたのは、自ら企画した1970年の大阪万博の成功だった

 堺屋太一さんが「万国博覧会」の存在を知ったのは、上司から勧められた見合い話を断りに行った席上というのだから面白い。通商産業省(現経済産業省)に入って4年目。通商白書で「水平分業論」を唱え、注目を集め始めてはいたものの、まだ28歳。そこから全てが動き出す

 開催までの一部始終を昨年、「地上最大の行事 万国博覧会」(光文社)にまとめた。「太陽の塔」の建設を巡り、芸術家の岡本太郎さんと建築家の丹下健三さんが、互いの弟子たちも含め、取っ組み合いの大げんかになったことなど、時代の熱を感じさせるエピソードも随所にちりばめられている

 「人類の進歩と調和」を掲げた万博で、大事にしたのはコンセプト。その一つを「規格大量生産の近代工業社会である日本」と定め、世界中の人々に、最新の日本の姿を見せることに注力した

 万博は、はるかかなたの峠を目指して、坂道をひたすら駆け上ってきた戦後日本の、中間総括でもあったのだろう

 成熟社会と言われて久しい今の日本が、2025年万博で世界に何を問うか。堺屋さんなら、どんなスケールの絵を描いたろうか。