汽笛一声、新橋を汽車が離れて27年。徳島県内で鉄道の営業運転が始まったのは1899年のこと。運営主体は、政治家で実業家の大串龍太郎らが設立した徳島鉄道株式会社。まず徳島-鴨島間から

 県立文書館の企画展資料によると、県内の鉄道待望論は大きく、国の計画もあるにはあったが、日清戦争の影響もあって、なかなか進まなかった。このため大串らが建設に一肌脱いだというわけだ。国有化後の1913年には、池田まで延びた

 徳島の鉄道史が時を刻みだして120年。今や県内の鉄路は全て赤字だそうである。JR四国の路線別収支状況が、本紙の取材で明らかになった

 牟岐線の牟岐-海部間が最も悪く、100円稼ぐのに1658円かかっている。四国でも最悪らしい。阿南-牟岐間551円、鳴門線の池谷-鳴門間320円。企業努力だけでは、なかなか改善しそうにない水準である

 人口減少で一層困難な経営環境となるのは必至。西日本豪雨のような災害が今後頻発すれば、復旧もおぼつかない。「年1億円も収入がないような路線で数十億円の復旧費を出すのは厳しい」。同社の言い分はもっともだ

 鉄道などいらないよ、というなら別だが、そうではないだろう。徳島の鉄路を守るのに、どういった方策があるか。JR四国に放りつけておいていい問題ではない。