ひづめが分かれ、なおかつ反すうすること。旧約聖書が挙げる食べてもいい動物の条件である。ひづめは分かれていても、反すうしない豚は汚れたものとされる

 だからユダヤ教徒は豚を食べない。聖典コーランに禁止の文言があるイスラム教徒もである。同じ神を信じていても、初期の会議で解禁したキリスト教徒には豚の禁忌はない

 ひづめや反すうにこだわるのはどうしてか。合理的な説明も成り立つのだろう。だが「どうして」の答えは一つしかない。「主が言われた」からである。それが宗教というものだ

 その厳格さに比べ、社会規範は時代とともに大きく姿を変えてきたし、変わっていこうとしている。これまで俎上(そじょう)に載ることのなかったこうした課題も、避けては通れなくなった。同性婚の合憲性を問う裁判が各地で始まった

 国が同性同士の結婚を認めないのは、憲法が保障する婚姻の自由を侵害し、法の下の平等に反すると、原告の13組のカップルは訴える。確かにそうした権利も無視してはならない。頭では理解しているつもりだが・・・

 多様性を認めよう。そう口で言うのは簡単だ。しかし、正直に明かせば、性の禁忌も含めてこれまでの常識に染まった筆者には、抵抗感がないわけではない。それがこれからの常識なのだとしても、殻を破るには、もう少々時間がほしい。