徳島県美馬市脇町出身/東京都江東区在住

 うだつの町並み近くで育った。脇町小学校、同中学校卒。幼いころから体が大きく、周囲の人に「将来は力士に」と言われていた。
  
 「小学校の休みの日には山で秘密基地をつくったり、吉野川で魚釣りをしたりして遊びました。朝早く食パンを握りしめて、こっそり家を抜け出してね。熱中して暗くなっても家に帰らず、家族が捜しにきたこともありました。楽しい思い出です。

 父が高校教師をしていたこともあって、中学1年生のとき、放課後に穴吹高校のレスリング部で体を鍛えていました。中学の体育教師に勧められて、2年生から砲丸投げをやった。3年では相撲で全国大会にも出場しました」

□  ■  □
 

 1985年2月、大相撲の時津風部屋に入門するため上京。この年の春場所で初土俵を踏んだ。ピーク時の体重が186キロという巨体を生かした豪快な取り口がファンを魅了した。
  
 「ずっと相撲をやるんだという気持ちだったけど、いざ卒業となると、高校進学の選択肢もあるから悩みました。父や周りの人が『頑張れ』と背中を押してくれ、角界入りを決意しました。

 上京した日のことは、よく覚えています。雪がちらちら舞う寒い日でね。徳島空港まで両親が送ってくれて、初めて一人で飛行機に乗った。15歳だから、やはりつらく、心細かった。東京に着いたらビルの多さに圧倒され、駅では人に酔ってしまいました。

 時津風部屋では初めての共同生活の上に、関取や兄弟子の世話をしなくてはいけなかった。本場所や地方巡業で全国を飛び回っていて、辞めようと考えたこともありました。でも、中学校で大きな壮行会を開いてくれたので帰れないんですね。父も心配だったのか、朝げいこを見にきたり、九州場所の体育館の入り口で待っていたりしてくれました。

□  ■  □

 92年夏場所に新入幕。93年名古屋場所で東前頭4枚目に昇進した。しかし、足首痛に悩まされ、99年に引退。準年寄を2年間務めた後、2003年から相撲部屋料理「時津洋」を経営。今年8月に結婚した。
  
 「幕内のときは徳島からも励ましの手紙をいただきました。力がわいてきました。故障は左足首からで、かばっているうちに腰が悪くなり、最後は右足首。両足首の手術をしても元に戻らず、痛みで気持ちがなえてしまい、続けられなくなりました。

 40歳になって少し心に余裕ができたのか、脇町への愛着が強くなってきました。漠然とした表現だけど、町のにおいが好きなんです。ただ、帰省すると少し元気がなくなっているように感じます。うだつの町並みや吉野川などいいところがいっぱいあるから、もっと人が移り住んでもらいたいですね。

 先の話ですが、脇町に戻りたいなあという気持ちはあります。妻も気に入ってくれて、静かな環境で子育てできたらとも思います。私にとって古里は帰る場所であり、ほんわかと温かいところであり続けてほしいものです」