元国連事務次長の明石康さんの講演を鳴門教育大で聴いた。意外に艶話も得意だと明かした主催者の人物紹介に苦笑いしていたけれど、その話には、物静かな口調に似合わない迫力があった

 日本人で初めて国連職員に採用されたのが1957年。各国から集まった文化も違う人々の間でもまれ、「のんびりする時間を天は与えてくれなかった」。92年には、カンボジア紛争の最終解決を目指して発足した、国連暫定統治機構の事務総長特別代表を務めた

 自衛隊が参加した最初の国連平和維持活動(PKO)である。派遣警察官の高田晴行さんと国連ボランティアの中田厚仁さん、2人の日本人が殉職している。明石さんも暗殺リストに入っていた。続くユーゴスラビア紛争の収拾でも命の危険にさらされた

 それでも、の勇気をどうやって振り絞ったか。「内心は動揺していても、ひるんだ様子を見せてはいけない。外国人は日本人にサムライのイメージを抱き、リーダーにはそういう態度を期待しているんです」

 教育大での講演らしく、外国語教育にも触れた。大事なのは、洗練された言葉より、他の国の人たちと、互いを認め合い、友人としての関係を築くこと

 その過程は容易でないが、決して苦しみばかりではない。異文化のはざまに橋を懸け続けて半世紀。明石さんの結論である。