県春季大会準決勝・板野戦で右前適時打を放つ富岡西の古川<8>。最終日の徳島商戦にも勝ち初優勝を飾る=1991年4月、県営鳴門球場

上田貴史

 1991年の徳島県春季大会最終日。富岡西の主将、上田貴史(44)=徳島市南末広町=は、手渡された優勝旗をしっかり握り締めた。「これが優勝の感覚なのかと思った。一つ上へ上がることができた」と懐かしむ。

 春と秋、2度ずつの県大会準優勝から一歩先へ進み、富岡西が初めて頂点に立った瞬間だった。時代は平成へと移り、創部から90年以上が経過。名門の池田や徳島商を撃破しての栄冠だった。

 準々決勝の池田戦は延長十回の末、6―5でサヨナラ勝ち。監督だった出原正人(57)=徳島市春日=は「池田に勝てたことが大きかった」と言うように、名門を下して波に乗った。

 準決勝で板野に勝ち、決勝は徳島商と対戦。この年の秋、プロ野球・中日にドラフト2位で指名される右腕の佐々木健一を打ち崩した。六回に5点を挙げ8―4で快勝した。徳島商には前年のチームが県大会で勝てず、上田は「口には出さなかったが『徳商だけには負けたくない』とみんなが思っていた」。チーム一丸となってつかんだ栄冠だった。

 新チーム発足後の秋季大会では、2回戦で敗れていた。二塁手だった松田康明(45)=阿南市見能林町=は「このままではいけないと痛感した」と、冬場に猛練習したことを思い出す。

 そのころ、校内に筋力トレーニングの設備が整い、日暮れが早い冬場や雨天時に効果的なトレーニングができるようになった。ナイター設備が十分ではない中、街灯の明かりも頼りにしながらティー打撃で振り込み、打撃力を磨いた。

 勝利を渇望していた選手たちは、試合前にその日の目標を出し合った。「今日は3打席連続で出塁する」などと発表し、それをどう達成するか、選手自身が考えて臨んでいた。

 「甲子園を目指して頑張って」。県大会初優勝後は周囲から声を掛けられるようになったが、四国大会出場を懸けた代表決定戦は、選抜大会帰りの小松島西に3―6で敗れ出場を逃した。夏の県大会も初戦の2回戦で小松島西に敗れ、甲子園への夢は絶たれた。

 その悔しさと県大会を制した経験は後輩に引き継がれ、翌92年春も2連覇。着実に新たな歴史を刻んでいった。

 この年は新野が選抜大会に出場し、阿南市から初の甲子園出場校が誕生する。富岡西は新野とよく練習試合をして、勝つこともあっただけにライバル意識は強かった。

 後に慶応大で高橋由伸(元巨人)とクリーンアップを打った経験がある仁木基裕(44)=那賀町阿井=は「新野は知っている選手が多く、僕らも、という思いが募った」。県大会を連覇し、自信をつけた富岡西ナインは近隣校の甲子園出場に大いに刺激を受けた。 (敬称略)