米国出身で日本文学研究の第一人者として知られるドナルド・キーンさんの人生は、日本人を勇気づけ、鼓舞することに費やされたといえる

 それが色濃く残るのは東日本大震災後のキーンさんの言動である。原発事故もあり、多くの外国人が日本を離れる中で、日本国籍取得を表明する。心の内が震災翌年の本紙正月特集に記されている

 戦時中、作家高見順は母を疎開させるために行った上野駅で静かに並んで列車を待つ大勢の人を見て、この国民とともに生き、ともに死にたいと日記に書いた。それを引いてキーンさんは<いつの間にか、私の気持ちにもなりました>。表明後は勇気をもらったとの礼状が届き、生涯で最も重要な出来事の一つとなったという

 谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫らと出会い、恵まれた人生になったことへの感謝の念もあっただろう。戸籍上の名前「キーンドナルド」に、「鬼怒鳴門」と漢字を当てた

 来県したのは1957年、作家宇野千代さんに阿波踊り見物に誘われたのが最初。その後も度々訪れ、四国大交流プラザでの講演では、源氏物語の出合いに始まる文学の魅力を語った

 随筆で徳島に触れた一節である「藍染物にならって、町のすべての建物を藍色に染めれば・・・」を思い浮かべる人も多かろう。キーンさんが逝った。