展示室にある大量の髪は、ガス室で殺されたユダヤ人女性たちの遺体から切り落とされたものだ。織物工場に生地の原料として販売された。金歯も溶かして再利用された。靴や衣服などの遺留品も山積みにされている。

 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人や政治犯らを虐殺したポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所に、それらは残されていた。想像を絶する残虐さに身震いする。

 110万~160万人が犠牲になったこの収容所が旧ソ連軍に解放され、27日で70年になる。現地では各国首脳や「生還者」らが参加し、大規模な記念式典が開かれる。

 強制収容所は戦後、国立博物館となり、惨劇の記憶の場、犠牲者追悼の場、若い世代への教育の場として、役割を果たしてきた。

 歳月を経て語り部が少なくなっており、博物館の重要性は増している。過ちを二度と繰り返さないために、施設を大切に保存し、重い歴史を後世に継承していかなければならない。

 博物館は、アウシュビッツ第1収容所と、第2収容所(ビルケナウ収容所)からなる。国内にはガス室を備えた「絶滅収容所」が他にも5カ所あったが、アウシュビッツが最多の犠牲者を出した。

 そこで見た光景は生涯、見学者の脳裏に焼き付いているに違いない。

 第2収容所には鉄道の引き込み線が残る。欧州各地から連日、貨車でユダヤ人らが運び込まれた。「死の門」を入ると、その場でドイツ人医師が生死の選別をした。

 労働力として使えないと判断された8割近くの人たちは「シャワーを浴びる」と服を脱がされ、直ちにガス室に送られた。労働者として収容された人も、過酷な生活で結局、多くが数カ月のうちに命を奪われた。

 当時の衝撃的な場面が記録された写真が、博物館の壁に掲示されている。
 
 人が人になぜ、これほど残酷なことができるのか。感覚がまひしてしまうのか。もし自分が所員で虐殺を命じられたら、背けたか。そんな疑問が次々とわき起こる。
 
 意外にも、収容所長のルドルフ・ヘス(戦後処刑)は家庭的な人物だったという。所員も普通の人々だった。
 
 人間は愚かさ、弱さの他にとてつもない残虐性を持っているということだろうか。

 気掛かりなのは、世界で今、特定の人種、民族、宗教への差別や移民排斥の動きが広がっていることだ。
 
 根っこはアウシュビッツと同じである。ホロコーストも「ユダヤ人は出て行け」から始まった。強制収容所は当初、政治犯の再教育を目的にしていたが、強制労働、虐殺の場へと変わった。
 
 われわれは、共存への歩みを止めてはならない。
 
 博物館の入場者は昨年、153万4千人に上り、年間の最多記録を更新した。大部分は欧米の若者たちで、ポーランド、ドイツ、イスラエルなどからは歴史教育の一環で訪れているという。
 
 日本人は1万5450人、国別で18番目にとどまる。遠いとはいえ、残念である。日本の若い人たちにも、過激なナショナリズムが招いた悲劇の場に身を置いて、五感を研ぎ澄ましてもらいたい。考えが深まるはずだ。