大昔、人々をとりこにしたのが、辰砂という鉱物から取り出した赤色顔料の水銀朱だ。辰砂原石の採掘から水銀朱の精製まで阿南市で行われていたのは興味深い。徳島の誇るべき歴史遺産である。

 県教委などの調査で、加茂宮ノ前遺跡(阿南市加茂町)から、辰砂の精製に使われたとみられる縄文時代後期(約4千~3千年前)の石臼や石きねなど300点以上と辰砂が大量に出土した。

 過去の発掘調査で、弥生時代中期末~後期初頭(約2千年前)に水銀朱が精製されていたことは分かっていた。今回の発見で、生産の起源は1500年ほどさかのぼることになる。

 加茂宮ノ前遺跡から南西に約3キロ離れた若杉山遺跡(阿南市水井町)は、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての辰砂の採掘遺跡だ。坑道は国内最古であることが判明し、遺跡としての価値は一層高まったといえよう。

 加茂宮ノ前遺跡で見つかった辰砂は若杉山を含め、周辺で採取されたものだろう。

 集落の竪穴住居で暮らしながら、さまざまな石器を用いて辰砂を砕いたり細かくすりつぶしたりして、中に含まれる水銀朱を熱心に取り出していた。そんな光景が浮かび上がってくる。

 水銀朱は縄文時代、土器や耳飾りなどの装飾品に好んで塗られた。鮮やかな赤は魅力的だったに違いない。

 弥生時代後期以降、大量に使用され、各地の権力者の石室の壁やひつぎ、遺体などにも塗られるようになった。水銀朱を「不老不死の薬」とする中国の思想の影響を受け、朱を施す風習は急速に広まったと解釈できる。

 この地で生産された水銀朱は県内にとどまらず、遠くは山陰や畿内にまで運ばれていたという。現代なら、阿南市の「ブランド産品」といったところか。

 しかし、水銀朱と不純物を分離する最終工程の作業が行われていたのかや、流通の形態、生産の規模などはあまり分かっていない。生産の全体像を知る上で、さらなる調査が不可欠だろう。

 遺跡の保存活用も今後の大きな課題だ。

 加茂宮ノ前遺跡の発掘は那賀川の築堤工事に伴うもので調査後、埋め戻されることになっている。保存する道はないのだろうか。

 一方の若杉山遺跡については、市が国史跡の指定に向けて文化庁に申請を終えた。指定されれば、遊歩道を整備するなどして見学できるようにする方針だ。歴史教育や観光に役立ててほしい。

 県内の国史跡数は11件で、高知県と並んで全国最下位である。これまで地域に眠る歴史遺産の学術調査が不十分だったのが一因だ。

 祖先の暮らしぶりや死生観を知り、来し方を見つめ直すことは意義深い。市民の関心が高まっている中、地域再生に結びつくよう一帯の整備を望みたい。