鳴門市と兵庫県の淡路島を結ぶ大鳴門橋が開通して、きょうで30年を迎えた。

 「夢の架け橋」は、1998年の明石海峡大橋開通で、徳島県と関西を直結する大動脈となった。

 荒天時、本州との行き来に困っていた県民の利便性を高めた効果は計り知れない。

 県勢の発展を支える大鳴門橋の30年の節目を、県民とともに祝いたい。

 大鳴門橋は全長1629メートルで二つの主塔間の長さが876メートルあり、完成当時、東洋一のつり橋といわれた。

 潮流が速い鳴門海峡に、架橋技術の粋を集めて建設された橋は、県民の誇りである。

 大鳴門橋の昨年度の交通量は1日平均2万3626台で初年度の3倍。明石大橋の開通で利用に拍車が掛かった。

 本県から京阪神へは新鮮な野菜などがトラック輸送されている。天候に左右されずに物資を運べるのは、産業、物流面で大きなメリットだ。

 一方で、人の動きの活発化は、本県にマイナス効果ももたらした。

 阪神への買い物客らの流出だ。県民が日常的に高速バスやマイカーで大阪や神戸を訪れ、ブランド衣料や高級品の買い物を楽しむようになった。このストロー現象が、徳島市内の中心市街地を衰退させた一因である。

 観光面でも、観光バスの増加などの架橋効果に、負の側面が加わった。高速交通時代を迎え、徳島が通過地域の色彩を濃くしているのだ。

 時代の変化にどう対応するか、県民の知恵が試される。

 アニメやLEDは、産業振興や観光客誘致のための新たな資源だろう。神山町などに立地が進むサテライトオフィスの一層の誘致も図りたい。

 大鳴門橋の開通当時、徳島県民は、将来の明石架橋の効果も見越して、明るい未来を夢見た。

 その30年後、本県が少子高齢化と人口減少、過疎化と限界集落の対策などに悩んでいると誰が予想しただろうか。

 希望の光が差すのは、大鳴門橋が淡路島との地域間交流を促進したことだ。

 県鳴門病院では昨年度、兵庫県からの外来患者が延べ3101人と、全体の2・8%を占めた。その大半が淡路島の患者だ。大鳴門橋経由で救急患者も搬送されている。

 95年の阪神淡路大震災では、本県から県警や自衛隊の車両、救急車、ボランティアらが大鳴門橋を通って淡路島に入った。「大鳴門橋があってよかった」と、命の道としての役割を実感した。

 仕事やスポーツでの往来が盛んになったのも喜びたい。

 本県と淡路島の協力で、鳴門の渦潮の世界遺産登録に向けた運動も始まっている。

 鳴門市で開かれた両県の記念セレモニーには、飯泉嘉門嘉門知事と井戸敏三兵庫県知事も出席し、一層の交流を誓い合った。

 未来への扉を開く30年の節目を、海峡を越えて両県が連携を深める契機にしたい。