東日本大震災追悼式で、被災者を代表しあいさつした福島県楢葉町の高原カネ子さんの言葉に、耳慣れた単語が出てきた。おや、と思い耳を澄ました。「藍の種が希望の光に。藍を復興のシンボルに」

地震、大津波、原発事故。避難生活は3年半に及んだ。深く傷ついた古里をどう立て直せばいいか。思案に暮れていた時、交流のあった広島の小学校から、自分たちが育てた種を生かして、と届いたのだそうだ。「前を向く勇気をくれた」と高原さんは言う

地元のまちづくり会社「ならはみらい」の事務局長永山光明さんによると、被災者の楽しみや仲間づくりのきっかけに、と避難指示解除後の2016年、栽培を始めた。専門家はおらず手探りだったが、その年の暮れには藍染にも挑戦した

恒常的に取り組む住民グループもでき、大学教員の指導も受けた。「3年がたち、技術もだいぶ向上しました」。町の依頼で引き出物のハンカチを作ったことも

町の人口は震災前の半分にまで回復している。ただ避難先から戻るのは、ほとんどが高齢者。ゆくゆくは藍染を特産品に育て、町を活性化させたい、と考えている

「染めは生葉で。蒅はまだまだ」。そう聞けば、うずうずしだす阿波の職人もいるはずである。被災地に開こうとしている藍の花。手助けしない理由がどこにあるだろう。