人情残る大人の社交場 漂う昭和の匂い魅力
日が暮れ始めると、軒先の看板やちょうちんにぽつぽつと明かりがともり、一人、また一人
と細い路地に入っていく。吉野川市鴨島町の鴨島駅から少し歩いた一角にある「文楽通り」。時代に取り残された飲み屋街と見るか、昭和の匂いが漂う大人の社交場と見るかは、足を踏み込まなければ分からない。居酒屋、割烹(かっぽう)、スナック、ラウンジ・・・。300メートルほどの通りに約30の店が並ぶ。こぢんまりとした店構えが違和感なく街並みに溶け込み、趣を感じる。
午後7時すぎ。鴨島駅前から向かうと、目に入るのが居酒屋「治作(じさく)」。誰もが知る老舗中の老舗だ。店内はカウンター10席余りで、満席時には隣の客と肩が触れることもしばしば。独りで来店してもすぐに打ち解けられるのは、この空間ならではだろう。
地元の常連客や仕事帰りのサラリーマンらは酒を片手に、名物の「鮎豆腐」に舌鼓を打つ。辺見茂さん(52)=同市鴨島町山路、運送業=は「寒くなったので治作の豆腐が食べたくなってね」と大満足。初めて会った人とも意気投合し「本当に良い、この雰囲気。文楽は鴨島の文化ですよ」と上機嫌だ。
そもそも、文楽通りという名前の由来は何か。地元史に詳しい市文化協会前理事長の日野俊作さん(80)=同市鴨島町中島=は、こう言う。
戦後間もない頃、鴨島駅前には映画や芝居などの娯楽施設「文化座」と「有楽座」があり、一般客のほか、興業に来た俳優や業者が集まるようになった。それに伴って両施設を結ぶ道路沿いに飲食店、旅館などが並び、それぞれの座名から一文字ずつ取って「文楽通り」と住民が呼び始めたという。
午後9時。「少し酔ったし、そろそろ帰ろうか・・・」とならないのが文楽通りだ。店を出ると複数の看板が目に入る。常連客にはそれぞれいきつけがあるのだ。
2軒目は、治作から歩いて1分ほどのスナック「ビアン」。1977年にオープンした。歴史を知るママに、今の客層などについて聞いたら「若い人はお酒飲まんようになったけん。ハゲと白髪ばっかり」とばっさり。カウンターの客もどっと笑う。意をくむと、昔から気心の知れた常連客が通っているということか。
全盛期の1950年~70年代前半は60店以上が軒を連ねた。徐々に旅館や美容室などは消え、居酒屋やスナックが中心となり、県内有数の飲み屋街に変貌して連日、大盛況だった。しかし、昭和から平成へと時代が移ると、バブル経済の崩壊や景気低迷のあおりで活気が失われていった。
寂れたイメージが付いて久しい。客は激減し、経営も厳しくなった。にもかかわらず、今もほそぼそと店を開けているのはなぜか。その理由はビアンの常連客やスタッフとのやりとりを見れば何となく分かった。
マスターの沼田好治さん(72)は「『懐かしいね』とふいに来てくれる人もいるし、なじみの店があったほうがええんちゃう。文楽には昔ながらの人情があるわな」と笑う。
都会の歓楽街とは違い、華やかさも派手さもない。でも、集う人も営む人も自然体で過ごせる大人の社交場。それが文楽通りであり、鴨島の文化として根付いている。