身近なパワースポット
緑に囲まれてそびえ立つ大鳥居、続く小さな鳥居を抜けると、すっと雰囲気が変わる。神様の
いる場所、大(おお)粟(あわ)山(やま)のふもと。国産み神話の神様を祭る上(かみ)一宮(いちのみや)大粟神社の入り口は、日常生活の一角である上角商店街にある。まっすぐと伸びるこけむした石の参道を、一段一段上がる。徐々に車の音は聞こえなくなり、代わりにかすかに響く鳥の声。ふと振り返ると、商店街は見えなくなっていた。参道脇の木々に遮られ、日常から隔絶された気分になる。まるで、静かで清らかな空気による禊(みそ)ぎのようだ。
と格好をつけても、約400メートル続く坂道は、運動不足の身には厳しいものがある。息を切らして登りきり、差し込む光の向こうに、大宜都比売(おおげつひめの)命(みこと)を祭る社殿が見えた。
徳島の古名「阿波」は穀物の「粟」に通じるとされる。その粟を人々にもたらしたとされ、豊穣(ほうじょう)や穀物をつかさどる女神だ。
神職を務める阿部靖さん(36)=香川県善通寺市=によれば、大宜都比売命の別名「大粟(おおあわ)比売命」にも「粟」の字が入っている。「荒ぶる神として有名な須佐之男命(すさのおのみこと)に、自らの体から取り出した食べ物を与えたといわれています」。近年はパワースポットとして人気が高まっている神社。女神の心優しい伝承からか、優しさや包容力を求める若い女性が足を運ぶ姿も見られるという。
神宿る地には、神への舞がある。神様に毎年の収穫を祝い、感謝をささげる12月の「新嘗祭(にいなめさい)」では、地元の女子児童が神楽「浦安の舞」を奉納する風習が続けられている。深い木々に囲われた社殿前に設けられたやぐらの上、緋(ひ)袴(ばかま)のみこ装束で扇をひらめかせ、鈴を鳴らして舞う様子は、初々しいながらも厳かだ。
神社は元々、天から大宜都比売命が舞い降りたとされる大粟山の頂上「天辺丸(てんぺんまる)」にあった。参拝のしにくさなどからふもと近くに移されたが、山頂には今でも小さなほこらが残っている。
天辺丸に登る山道は、社殿東側の社務所の奥から。人影はなく、一見どこに続くか分からないような細い道ばかり。時折見える里山の光景が、遠く、まぶしく見える。
そんな山中に、突如現れるのが巨大なアート作品の数々だ。芸術家を招いて滞在制作してもらう「神山アーティスト・イン・レジデンス」(KAIR)で、神山を訪れた国内外の作家たちが残していった。
何かの降臨を待つ舞台のように、円形に並んだ石。竹で組まれた巨大な塊は、鐘のようにも鳥かごのようにも、あるいは森の生命力を取り込んだ卵のようにも見える。芸術家たちは、山に満ちる神聖な空気や神話にインスピレーションを得て、思い思いに形づくったのだろう。
「神山で作られたアートは、自然というものに寄り添う作品が多いですね」。KAIR事務局の工藤桂子さん(39)=同町下分=は、展示場所を記した地図を指でたどりながら話す。「山に入って感じたものが、アートという形を得た。大粟山に神社ができたのも、山から感じる何かがあったから。そこには通じるものがあるのではないでしょうか」
神山町史に残る「神の開き給(たま)いし、うるわしの地」という言葉。神社のある同町神領という地名の由来だ。神代の世界は、遠くに息づくようで、実はいつも人の隣にあるものだった。