今から32年前に廃止された国鉄・倉吉線は、鳥取県倉吉市にある山陰本線・倉吉駅から分岐し関金町(現倉吉市)の山守駅を結んでいた地方路線である。

ここは筆者が中学生のころから行ってみたかった路線の一つで、全国に線路を延ばす国鉄路線の中で、終着駅名を早い段階で覚えた記憶がある。

なぜかというと、当時、こっそり見た成年雑誌でヌード撮影に終着駅の山守駅が使われていたからだ。モデルの名前はまったく覚えていないが、駅でそういうことができるとは信じられず、どんな場所なのか興味を覚えた。

ところが、行く機会が無いまま月日は流れ、倉吉線も1981年に国鉄再建法第一次廃止線区に選ばれ、1985年4月1日に廃止されてしまった。

廃止後、路線の一部が現役時代のまま取り残されているのは知っていた。全国の廃線跡をルポした書籍で都営上げられることも多く、近年では線路跡をたどるトレッキングツアーを町おこしでおこなっているとも聞いていた。

ということで、やっと、線名を覚えてから間もなく40年を数えようという時期になって、初めて訪ねることになったのである。

今では列車が走っていないことや、時間的な制約もあって車で現地を訪ねた。倉吉駅は何度か訪ねたことがあったが、いつの間にか橋上駅に変身し、古い跨線橋は無くなってしまっていた。倉吉線の列車が発着したホームも、何となくここではなかったかと推測できるだけである。

線路跡も倉吉市街地にはほとんど残っておらず、遊歩道やサイクリングロードに転用された場所もあるものの、鉄道の気配はすでに消えてしまっている。

白壁の古い街並にある打吹(うちぶき)駅跡をまず訪ねた。ここには駅跡に倉吉線鉄道記念館が作られており、蒸気機関車C11が静態保存されている。入館は無料だが、常勤の職員はいない。公開時間帯は自由に出入りできるようになっているが、訪ねた人が室内灯をつけ、出る際に消して出るというちょっと変わったシステムになっている。

中には倉吉線の現役時代の写真が並び、協三工業製のスイッチャー(入れ換え用の小型機関車)が展示されている。

それぞれの展示物はいずれも美しく整備保存されている。他の廃止線記念館でよく見かける、展示品がほこりをかぶり、保存車両は錆だらけといった、いかにもうらぶれた感が無いのはうれしい。

打吹駅跡からさらに先を目指す。現在の車道は線路に沿っていないため、時々線路跡を見失いそうになるが、旧関金町に入ると、いかにも線路跡と分かる細い道が続いているのを見ることができる。サイクリングロードに転用され、桜並木が続く道である。

倉吉線の中核駅だった関金駅跡は、現在のメイン道路から離れていて少し分かりづらいが、ここが駅前道路ではないか?と思われる道があり、聞いてみればまさにそうだった。地区の集会所看板にいまだに駅前の文字が残っているが、通りを彩っていたであろう桜並木は老木となってしまい、昔の面影がわずかに残るだけ。駅舎跡は公園になって、倉吉線の記憶が無い人には駅跡とは分からないほど変わってしまっている。

倉吉線の廃線跡のクライマックスは関金駅跡を過ぎてから始まる。どうしていまだに残っているのか不思議なぐらい線路がそのまま残されている場所が次々と現れる。さすがに道路や川を跨ぐ鉄橋は残っていないが、再整備すればもう一度、列車が走れるのではないかと思えるほどだ。

特に泰久寺(たいきゅうじ)駅跡はプラットホームに駅名標、草に埋もれながら線路もそのまま残り、今でも現役の地方ローカル線で普通に見かける光景がそのまま残っている。違うのはもう列車が来ないということだけだ。

ここから先は徒歩で進む。草の中に線路が続いている。

廃止から30年を越えるため、線路の中で芽生えた木が立派に成長し、レールと朽ちかけた枕木を根が持ち上げそうになっている場所がある。暗い森の中に線路が続いている。そこを抜けると、竹林の中に線路が続く場所に出る。

線路の両脇に竹林が広がり、線路内にも何本かの竹が生えている。なんともいえない切なくなる光景で、しばし立ちつくしてしまった。

竹林を抜けるとトンネルが現れるが、入口は塞がれ、小さなドアがあるものの施錠され中に入ることはできない。トレッキングツアーに参加すれば通行できるらしいので、また来ることがあればぜひ通ってみたいと思う。

終点の山守駅跡は、なんと筆者の勘違いで見ることができなかった。新しく道が造られ、線路跡が途切れていたため、別の場所を駅跡と信じ込み、そのまま帰って来てしまった。帰宅後、資料を見てミスに気付いた。一番見たかった場所の間近まで行って、引き返してしまっていた。登山で頂を踏まず帰って来たときのような空しさを覚えたが、後の祭りである。

(写真映像部・吉本旭)