8月4日から22日まで、徳島市のあわぎんホールで浮世絵の展覧会「写楽・歌麿とその時代」が開かれます。浮世絵って何? どうやって作るの? 知っているようで知らない浮世絵の世界について、現在も浮世絵を作り続ける渡邊木版美術画舗(東京・銀座)の渡邊章一郎社長に教えてもらいました。

所蔵する写楽作品を前に浮世絵について語る渡邊社長=東京・銀座の渡邊木版美術画舗

◆渡邊木版美術画舗はどんなお店ですか?◆

明治時代末期、貿易商だった祖父・渡邊庄三郎が、海外でブームとなっていた浮世絵の復刻版を作って輸出しようと東京・京橋で創業し、関東大震災後に銀座に移転しました。

祖父が創業した明治末期、すでに浮世絵は衰退していて、職人は浮世絵の技法を用いて雑誌の挿絵や口絵を手掛けていたようです。京橋にはまだそうした職人が残っていたので、復刻版を制作することができた。海外に販路を見いだしたことで、浮世絵の技法を途絶えさせることなく、現在も江戸時代と変わらない手法で復刻版などを制作しています。

◆浮世絵ってどんなものですか?◆

浮世絵には肉筆画と木版画があり、この二つはまったくの別物です。肉筆画はオーダーメードの1点もの。皆さんが浮世絵と聞いて思い浮かべるものの多くは、浮世絵版画という多色刷りの木版画で量産品です。1枚がだいたいそば1杯くらいの値段だったということなので、現代の感覚では400~500円くらいでしょうか。

◆江戸時代、浮世絵はどうやって作られたんですか?◆

浮世絵版画は、分業制で制作されました。全ての工程に目を配る版元の指示のもと、絵師がデザインを描き、彫り師が版木を彫り、摺り師が版元や絵師と相談しながら紙に摺ります。完成した浮世絵は版元が全てを買い上げて、自分の店で売ったり、同業者に卸したりしました。

浮世絵の制作は合理的です。版木は、節があまりない山桜の板を使い、摺る色数に応じて複数枚作ります。摺るのは200枚単位。売れたものは重版し、売れなかったものは1回の200枚限りで制作を打ち切り、版木の表面を削って別の作品の版木としてリサイクルします。版を重ねると版木がすり切れてくるので、そうなるとまた表面を平らに削ってリサイクルしました。貴重な版木を有効に使っていたんですね。

◆よく知られている浮世絵には、東洲斎写楽や喜多川歌麿らの人物画(役者絵・美人画)と葛飾北斎や歌川広重らの風景画があります◆

流行のファッションや役者が描かれた浮世絵は、現代に置き換えるならコンビニの書棚に並ぶ月刊誌。私たちは、江戸時代には、写楽も北斎も広重の作品も、浮世絵の名品は同時期に店頭に並んでいたと思いがちですが、店頭に並ぶのはそのときの最先端の作品だけです。例えば、写楽や歌麿の大首絵は1790年代の作品、北斎「富嶽三十六景」や広重「東海道五十三次」は1830年代で約40年後の作品なんですよ。40年違うと流行も変わりますよね。

役者絵や美人画はアイドルのポスターのようなもので、人気役者は時代によって変わります。写楽や歌麿の大首絵は、多くても600枚ほどだったでしょう。一方、「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」といった名所絵は、はやり廃りがありません。10回以上版を重ね、1万枚以上制作されたものもあったようです。

◆写楽の役者絵は当時不評だったという説があります◆

私は人気があったんじゃないかと思っています。北斎や広重と比べて制作された部数が少ないにもかかわらず、写楽の作品が残っているということは、写楽の作品を愛好した人が多かった証しでしょう。

写楽の役者絵の背景は雲母摺り(きらずり)です。雲母摺りはコストが高く、歌麿や北斎ら当代きっての人気絵師の作品にしか使われていない。メタリックで強烈な印象を与える、当時最先端の浮世絵です。

写楽の役者絵、特に女形の表現は、それまでの約束事を破り、美しい女性というよりも女装したオジサンのように、ありのままを描いている。多くの人には写楽の作品が受けたけど、モデルになった役者やそのひいき筋からは嫌がられたのではないかと思います。

東洲斎写楽「嵐龍蔵の金貸石部金吉」(中右コレクション)
◆浮世絵の制作には版元が大きな役割を果たしたと聞きました◆

版元は、人々を驚かせたり面白がらせたりするいろいろな仕掛けをして、浮世絵を買ってもらう。アイドルを売り出す音楽プロデューサーに似ているかもしれませんね。中でも、写楽をや歌麿を世に出した版元・蔦屋重三郎(蔦重)は、今でいうと秋元康さんのような名プロデューサーです。

写楽は10カ月ほどしか活動せず、本名も素性も不明の絵師です。絵師は通常、師匠の名から一字をもらうことが多いので、名前から流派や得意な絵のジャンルが分かるものですが、写楽は謎に包まれています。蔦重のもとには、売れっ子絵師だけではなく、無名の絵師もたくさんいたでしょう。その中からミステリアスな大型新人として売り出したのが写楽ではないでしょうか。

◆写楽はどんな存在ですか?◆

写楽の作品は市場に出回る数が少ないので、1枚出品されているだけでオークションの価値が上がるほどの存在感です。特に1794年のデビュー当時の大首絵は、大胆な構図と雲母摺りで鮮烈な印象を残す作品です。海外での人気も別格で、復刻版もよく売れていますよ。徳島藩お抱えの能役者斎藤十郎兵衛が正体であるという説が有力視されていますが、商売人としては「謎は謎のままであってほしい」。そのほうが想像が膨らんで、面白いんじゃないでしょうか。

◆近年は浮世絵の展覧会が多く開かれています◆

今まで海外の美術館のコレクション展が人気だったので、浮世絵の展覧会が増えるのはうれしいですね。「江戸時代は鎖国をしていたから日本にとって暗黒時代」と思う人も少なくないのですが、200年以上平和で、さまざまな文化が花開いた豊かな江戸時代があったから今の日本がある。浮世絵を入口に、江戸文化にも興味を持ってもらいたいと思います。

展覧会「写楽・歌麿とその時代」についての問い合わせは、徳島新聞社事業部〈電088(655)7331〉。

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