2016年9月に華々しく開幕したプロバスケットボールのBリーグ。B1の初代王者となった栃木ブレックス所属の生原秀将選手(23)=徳島市出身=に、1年目のシーズンを振り返り、今後の目標などを語ってもらった。(聞き手=デジタル編集室・城福章裕)

Bリーグ初代王者となった栃木ブレックスの生原秀将=3月11日、栃木市のブレックスアリーナ宇都宮(ⓒTOCHIGI BREX、撮影:茂野憲一)

―プロ選手になって初めてのシーズンを終えて

シーズン途中から合流(加入は2017年1月)して、自分は最初からチームにいたわけじゃなかったので、まずはチームに慣れることが最優先だった。そんなことを考えていたら、途中からということもあってシーズンは短く、あっという間だった。プレータイムもなかなかなく、悔しいシーズンだったが、チームが勝って最後はよかった。

優勝したときはチームの勢いがすごかった。簡単な言葉になってしまうが、チームに本当に一体感があった。この一体感があったからこそ勝てたのかなと思う。

―リーグチャンピオンシップでは準決勝に出場したが、時間は限られていた

なかなか試合に出られないのはやっぱり悔しい。自分のポジション(ポイントガード=PG)は戦術の理解が一番重要視されるポジションなので、途中から合流したから、すぐなじめるかというと、そうじゃなく仕方ない部分もあったが、やっぱり悔しかった。

―シーズン途中からの加入は難しかったか

自分のポジションは、味方の作戦を試合中に決めたり、周りを動かしたりする。フォーメーションや戦術に関して、覚える量が多く、大学と比べると全く違った。覚えているだけで時間がたってしまい、途中からは難しかった。

―Bリーグには元NBAの外国人選手もいる。実際にプレーしてのレベルの違いや課題は

やっている技術とか、おおまかな部分は大学の頃とは変わらない。ただ、ミスの少なさだったり、シュート率だったり、質の部分では全然違うので、質の向上を目指してやっていきたい。体は大学(のレベル)の中では強かったが、プロに入ると外国人がいて、違うポジションでも接触する機会がある。そのための体づくりも必要だと感じた。

大学までは、外国人が自分のチームにはいなかった。敵にも味方にもいる中で、選手をどう扱うか、どこでどう使ったら生きるのかを具体的に細かく知らないといけない。

―リーグ全体が注目されたシーズンだった

開幕戦はテレビ放送されていて、大学で練習中だったが、みんなが録画して見るぐらい注目していた。これまで自分が、ファンの方だったり、お客さんに注目されたりして試合をするのは、インカレ(全日本大学選手権)や全国大会の決勝ぐらいだった。それを毎試合、毎試合できるのはいい経験だった。

―次のシーズンは最初から戦える

大学の1年、2年生の頃はほとんど試合に出られなかった。今と同じような状況だった。悔しさやハングリー精神というか、そういったところで、大学の頃は、自分の地位を築いてきた。高校のときもそうだった。そういう状況には慣れているので、そこで腐ってしまってもダメだし、試合に出ることもいいが、自分がやらなければいけないことを最優先にやっていければと思う。

―プロに進む考えはいつ頃から

最初から行きたいという気持ちはあった。大学1年、2年のときと、なかなか試合に出られなかったので、実業団だったり、企業に就職したり、学校の先生になるというふうに現実的に考えていた時期もあった。大学3年のときに、インカレで優勝して、その後、オールジャパン(全日本総合選手権)で、プロでトップクラスのアイシン・シーホース(現・シーホース三河、この年の優勝チーム)と試合をして、そこでやれて手応えを感じた。関係者が見てくれていて、いろんなチームから誘っていただいてから、もしかしたらやれるのかなと(明確に)プロを目指すようになった。

―これをやったからプロ選手になれたというところは

目標は、小学生の頃からずっと持ち続けていた。小中高と。中学校はあまり強い学校ではなく、高校は県外に行く予定だったが、徳島の高校に残り、(バスケットボールのためには)決して恵まれている環境ではなかった。徳島に居たのでは、日本のトップの大学の先生からも注目されにくい。(自分が在籍していた学校は)進学校で、みんな企業や大学に行こうと勉強していたので、(プロ選手以外の道へと)誘惑もあったが、(自分にはバスケットボールで高いレベルにいくという)目標があって、現状だけを打開するために、自分の技術やプレーをするのではなく、徳島のレベルというより、常に全国のトップレベルをイメージして、この相手にこれをやれても意味がないと、全国のすごい人を相手にイメージして、そういう相手は県内や四国にはいなかったが、常にそういうイメージを持ってやっていた。

―栃木ブレックスを選んだ

Bリーグにはいろんな特徴のチームがあって、(栃木が)一番環境がいいというわけではなく、他にも魅力のあるチームから誘いもあった。そういったことよりも、自分の中で田臥さん(=田臥勇太、日本人初のNBA選手)がいる、同じポジションですごい人、アメリカでプレーされている人がいるというのは、バスケット選手としてやっていくうえで、長い目で見ると一緒にやっておかないとダメだなと。やっていけるチャンスがあるのに、逃しちゃダメだなということで選んだ。

―田臥選手と実際にやってみて

ものすごくバスケットのことばかりを考えている。特に体のことに注意をしている。練習前にはストレッチなどの準備に時間を掛けたり、練習後も体のケアをしたり。練習中も体だけでなく、頭を使いながらやっていて、とても勉強になる。

Bリーグ初代王者となった栃木ブレックス=5月27日、東京・国立代々木第1体育館(ⓒTOCHIGI BREX、撮影:茂野憲一)

―何かアドバイスをもらったか

初めて練習に入ったときに、何をやればいいか分からず、戦術も分からない中で戸惑っていると「楽にやればいい」と言われた。また「焦っちゃだめ」とも。ポイントガートが焦ると、周りの4人のメンバーも自分に影響されるので。ボールの位置だったり、動かす位置だったり細かい部分も指導してもらった。

ーチームの中では田臥選手は競争相手でもある

試合に出たいという気持ちもあるので、勝たないといけないと思うが、それよりも田臥さんから学びたい。いろんなものを吸収して、そこでやっと(競争相手として)スタートラインに立てると思う。今はコートの外から見たり、対戦したりして、いろんなところで勉強している。

―来シーズンの目標は

新人王とかもあると思うが、僕はタイトルや数字、スタッツは意識していない。2連覇というチームの大きな目標があるので、少しでもその力になれるようにというのと、自分のプレー時間を延ばして、これだけやれるというのをチームに、第三者に見せられるにようしたい。体づくり、シュート力の向上もさせたい。最初からチームに携われるので戦術の部分でも対応できると思う。しっかり準備してやっていきたい。

―徳島から高いレベルを目指すには

徳島ではレベルの高いバスケットを目の前で見ることはなかなかできないと思う。自分もそうだった。自分の足で行くのは難しいが、毎日の練習でイメージしたり、大きな目標をちゃんと持っていたりすれば、そういったところ(高いレベルの試合)にも行けると思う。全国大会であったり、地方の四国大会であったり、一つ一つ大きな大会に進んでいけると思うので。僕は、自分の目標というか、夢を持ちながらやっていた。それを意識してやってほしい。

―徳島のファンへメッセージを

徳島ではなかなか試合がないが、近くの兵庫や大阪で試合があるので、会場に足を運んでいただいて、バスケットが盛り上がってきているので一緒に盛り上げてほしい。そして栃木ブレックスの応援もよろしくお願いします。

生原選手の2016-2017シーズン

2017年2月4日の大阪戦で初出場。出場時間は5分34秒で3ポイントシュートを決め、プロ初得点を記録した。

シーズン成績は、11試合に出場し33得点。総出場時間は78分9秒

リーグチャンピオンシップ成績

出場1試合(準決勝・三河1回戦) 2得点 出場時間1分44秒

生原 秀将(いくはら・しゅうすけ) 1994年5月24日生まれ。ポイントガード。徳島市立高校―筑波大学を経て栃木ブレックスに加入。高校時代は1,2年時にウインターカップ(全国選抜大会)、3年時に全国総体出場。大学時代は4年時に主将として全日本大学選手権3連覇に貢献、2年連続で優秀選手に輝く。2016年度ユニバーシアード日本代表。U-24日本代表候補。181センチ、80キロ。

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