徳島少年少女合唱団(上田収穂代表)の無伴奏ミサ曲「平和への祈り―徳島ミサ」のオーケストラ版が、7月23日に初演されることが正式に決まった。徳島文理大むらさきホール(徳島市)で開かれる「とくしま記念オーケストラ」の演奏会で、管弦楽の荘厳な調べに乗せて澄んだ歌声を観客に届ける。上田代表は「スケールの大きな演奏ができるのが楽しみ。平和を強く祈る気持ちを、世界に向けて歌い広げたい」と意気込んでいる。

オーケストラ版が制作されたのは「徳島ミサ」全7曲のうち、「入祭唱」「感謝の賛歌」「平和の賛歌」の3曲。5月12日には、とくしま記念オーケストラで音楽監督を務める秋山和慶氏が合唱指導を行う。団員は、完成したばかりの合唱譜を手に、早速ピアノに合わせて歌っている。

「平和への祈り-徳島ミサ」オーケストラ版の練習をする徳島少年少女合唱団=徳島市ふれあい健康館

「徳島ミサ」は定期演奏会や海外公演で必ず歌う代表曲だが、全曲を披露する機会は少ない。現在の団員にとって「入祭唱」を舞台で歌うのは初めてという。このため、先輩団員のCDを聴いて曲の全体像をつかみ、一音一音確認しながら繰り返し歌い込んでいる。

団長のワイス莉愛(りい)さん(15)=徳島市立高1年=は「団員の歌声だけでハーモニーを作ってきた歴史ある『徳島ミサ』が、オーケストラとの共演でより壮大に生まれ変わることがうれしい。たくさん練習して公演を成功させたい」と話している。

【「平和への祈り―徳島ミサ」とは】

全7曲で構成される無伴奏の現代ミサ曲。1989年に徳島市文化センターで初演。87年のウィーン公演を聴いた当地の作曲家ツィーグラーが歌声にほれ込み、徳島の子どもたちのために書き下ろした。ラテン語の歌詞を、不協和音を多用する複雑で繊細な調べに乗せて歌う。

「平和への祈り-徳島ミサ」原曲の楽譜

【オーケストラ化の契機】

徳島少年少女合唱団が2016年6月、広島市・平和記念公園で「徳島ミサ」を披露。同年7月に来県したとくしま記念オーケストラ音楽監督の秋山和慶氏が広島公演の様子を知り、「徳島ミサ」のオーケストラ版制作を県や合唱団に提案し、上田収穂代表が快諾した。全7曲のうち3曲を、音楽家長山善洋氏がオーケストラ版に編曲した。

(2017年5月5日朝刊掲載)

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徳島少年少女合唱団広島公演ルポ「平和を祈る歌声」

(「徳島ミサ」オーケストラ化の契機となった徳島少年少女合唱団の広島・平和記念公園慰霊コンサートに同行取材し、2016年7月7、8日朝刊掲載。年齢、学年は当時)

平和を祈る歌声(上)

オバマ米大統領が2016年5月に現職の米大統領として初めて被爆地ヒロシマを訪れた1カ月後。徳島少年少女合唱団(上田収穂代表)の鎮魂と平和を願う柔らかなハーモニーが広島市の平和記念公園に響いた。半世紀を超える合唱団の歴史は、平和への祈りとともにあった。

6月26日の昼下がり、梅雨の晴れ間が広がった平和記念公園は豊かな緑で彩られ、国内外から多くの人が訪れていた。

「過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆慰霊碑の前に整列した団員42人が、上田代表の指揮でミサ曲「平和への祈り-徳島ミサ」の「平和の賛歌」を厳かに歌い始めると、通りかかった人は足を止め、身じろぎもせず静かに聴き入る。鈴の音のように澄んだ歌声が響き、平和と鎮魂の祈りに包まれた。

原爆の子の像の前で「平和への祈り-徳島ミサ」を歌う徳島少年少女合唱団=2016年6月、広島市・平和記念公園

「平和への祈り-徳島ミサ」は、「平和の賛歌」や「感謝の賛歌」など7曲で構成される現代ミサ曲。1987年のウィーン公演で合唱団の歌声にほれ込んだ当地の作曲家ツィーグラーが、徳島の子どもたちのために書き下ろした。

ラテン語の歌詞と、不協和音を多用する複雑で繊細な調べは、正確な音程で歌い上げることで心地よい緊張感のある美しいハーモニーが生まれる。この曲をヒロシマに響かせることは、国内外で平和を願って歌い続けてきた合唱団の悲願。団員はそれぞれの思いを胸に、広島公演に臨んだ。

歌声には、練習で培われる歌唱技術だけでなく、歌う人の気持ちが表れる。平和記念公園での慰霊コンサートに向け、団員は折り鶴を用意した。県外公演に初めて参加した坂井桜子さん(10)=徳島文理小5年、須見加奈子さん(11)=富田小6年、川村咲貴さん(11)=川内北小6年=は公演前、「戦争で亡くなった人のことを思って鶴を折った。心を込めて歌いたい」と口をそろえた。

慰霊コンサートに先立って見学した原爆資料館では、交流する広島なぎさ中学校・高校の生徒の案内で、原爆と戦争の悲惨さを目の当たりにした。オバマ大統領が贈った折り鶴の前には、一目見ようと多くの人が列を作り、団員も並んでしっかりと目に焼き付けていた。

渡邊真帆さん(16)=城南高1年=は「丁寧に折られたオバマ大統領の鶴に、平和への思いを感じた。資料館を見学したことで漠然としていた平和を祈る気持ちがより強くなって、歌声にも表れたと思う。通りかかった人も静かに聴いてくれて、思いが届いたかな」と語る。

原爆慰霊碑から原爆の子の像の前に移った団員らは祈りをささげ、折り鶴を手向けた後、「平和への祈り」の「感謝の賛歌」を柔らかな表情で歌い上げた。団員それぞれが平和を思って織りなすハーモニーには、ぬくもりがあふれていた。

平和を祈る歌声(下)

「数え切れないほど歌ってきた『徳島ミサ』だが、今までで一番心がこもっていて素晴らしかった。音を超えたものが伝わった。よく歌ってくれた」

広島市の平和記念公園で「平和への祈り-徳島ミサ」を歌った徳島少年少女合唱団。徳島に戻るバスの中で上田収穂代表は涙ぐみ、言葉を絞り出すように団員をねぎらった。車中は静まり、歌声の余韻が続いた。

広島市の平和記念公園で指揮をする上田収穂代表=2016年6月

創立53年を迎える合唱団の歌声の根底には、平和を祈る心がある。それは、青春時代に太平洋戦争を経験した上田代表の思いの表れでもあった。

上田代表は、父の仕事の関係で韓国に生まれ、石井町の実家と行き来をしながら育った。「当時クラシックは敵性音楽として禁止されていて、押し入れで布団をかぶってベートーベンのレコードを聴いた」。戦局の悪化で韓国から徳島に戻り、旧制麻植中3年のころ終戦を迎えた。

戦後、音楽が街にあふれた。「自由に音楽を奏でられることこそが平和の証し」。音楽による国際親善を訴え、数々の海外公演を成功させてきた。

そうした戦争体験は、折に触れ団員に語ってきた。上原萌歌(ほのか)さん(16)=城南高1年=は「上田先生の話を聞き、公演のたびに歌声で交流すること、平和を訴えることについて考える。『徳島ミサ』を歌うときはいつも、亡くなった人への祈りと、聴いてくれる人の幸せを願う気持ちを込めている」と話す。

上田代表には、戦後70年余りを経ても、目に焼き付いて離れない光景がある。1945年7月の徳島大空襲の翌日、被災者の救助に動員されて見た、重なるようにあちこちに横たわる遺体。その光景と、原爆の犠牲者が重なった。「世界各地でテロが相次ぎ、平和が崩れかけている。オバマ大統領がヒロシマを訪れて注目されている今こそ、子どもたちの歌声で平和を訴えたい」。同時代を生きた人に思いを寄せ、平和を祈る気持ちが一番届く場所が平和記念公園だと考えた。

「合唱は、音を共有し、他者を受け入れて溶け合うこと。それは平和にも通じる」と語る。本来ならぶつかり合う音である不協和音が、見事に溶け合って幻想的な響きをもたらす「平和への祈り-徳島ミサ」は、音楽そのものが平和への道筋を表しているようだ。

平和記念公園で歌った団員たちは、「平和への祈り-徳島ミサ」への思いも新たにした。団長の沖津奈緒さん(16)=徳島文理高1年=は「平和を祈るみんなの強い気持ちが、一人一人の歌声を一つにして、今までにないハーモニーになった。心のありようが歌に表れることを実感した」と話し、「これからも団員の思いを一つにして、『徳島ミサ』を歌声に乗せて届けたい」と意気込んだ。

◆澄んだ歌声平和願う 徳島少年少女合唱団、広島で公演   2016/6/27