那賀町木頭地区に伝わる古代布・太布(たふ)は、住民が大切に受け継いできた宝である。

 その製造技術が、国重要無形民俗文化財に指定される見通しになった。国の文化審議会が、松野博一文部科学相に答申した。

 地元住民らでつくる阿波太布製造技法保存伝承会が、楮(こうぞ)の栽培から地機(じばた)による織りの工程まで、手作業の伝統的技術を継承。山間地域の紡織の技術としての地域的特色が顕著で、国内の衣服を巡る民俗技術を理解する上で重要なことが評価された。

 喜ばしい限りである。指定を弾みに全国にPRし、地域活性化を図ることが大事だ。

 古代からの技術が伝承されてきた木頭の太布は、全国的にもまれな事例である。

 太布は、楮や穀(かじ)などの樹皮を織って作る丈夫な布だ。

 「紙にのみ造りて、布に織ることは、絶たりとおぼえたりしに、今の世にも、阿波ノ国に、太布といひて、穀の木の皮を糸にして織れる布有り」。江戸時代の国学者・本居宣長の随筆集「玉勝間」に、そんな記述が残る。

 旧木頭村誌による1894年の統計資料には、村には太布以外に織物類はないが、太布は村内3百戸でことごとく織られ、と記されている。

 宣長が「今の世にも」と記した太布織りは、山深い木頭では明治の世も盛んだった。

 冬に刈り取った楮や穀を大釜で蒸したり、裂いたりして糸に加工。女性たちが春の農繁期までに山仕事の作業着や穀物袋に織り上げた。

 しかし、大正時代以降は綿織物などに押され、下り坂をたどる。物資が不足した第2次世界大戦前後に一時復活したが、その後は衰退した。

 忘れてはならないのは、木頭住民の熱意で、太布製造の技術が受け継がれたことだ。

 「古代から続いた太布の技術を残そう」。1980年に地元の老人会・福寿会の有志が、最後の太布織り経験者の女性たちから技術を学び、翌年には地元の女性が太布織研究会を設立。高齢の経験者は技術を伝えた後、次々に世を去り、綱渡りの伝承だった。

 保存伝承会の会員は50~80代の女性が中心の7人。木頭の工房「太布庵」で製作や実演を行い、徳島市立木工会館の工房分室「リトル太布庵」では、バッグやテーブルセンターなどを販売している。

 指定を機に、さらに付加価値を高めることが大事だ。

 会員は、地元の伝統を学ぶ授業で木頭中学の生徒を指導しているが、後継者不足が課題だ。国からは、後継者育成の講習会やテキスト作成の支援も受けられるようになる。 これらを生かした、認知度アップや若い織り手の育成に向けた取り組みに期待する。

 県内での国重要無形民俗文化財指定は、「西祖谷の神代踊り」、「阿波人形浄瑠璃」に次いで3件目となる。

 各地域には貴重な文化遺産が多い。その継承を後押しし、次世代に残していかなければならない。