「同じような境遇の人を1人でも多く助けたい」。生前、こう語っていた能仁(のうにん)怜子さん=享年(88)、阿南市那賀川町黒地=の元には、悲痛な叫びを訴える交通事故の遺族らからも電話や手紙が寄せられた。怜子さんは、心の痛みや苦しみをクッションのように和らげた。
怜子さんの三女千延子(ちえこ)さん=当時(22)=が亡くなった日航機事故から20年の2005年。高速道路の事故で夫を亡くした戸賀昌代さん(56)=名古屋市、会社員=は、怜子さんが遺族の支えになっているとテレビで知り、思わず電話を手にした。当時は夫の死を受け入れられず、自らも死と向き合う日が続いていた。
最初は「助けてください」と叫ぶだけで、何も言えないまま時間が過ぎたが、怜子さんの声が聞きたくて何度も電話をかけた。泣いてばかりいても黙って付き合ってくれた。自殺を考えていると打ち明けると、優しく叱ってくれた。
「高速道路を見たり、救急車のサイレンを聞いたりするとつらい」。戸賀さんがこう言うと、怜子さんは「私もそうだった。娘が山で死んだのでしばらく山を見られなかった」と話してくれた。
戸賀さんは「能仁さんに出会えて、ぽっかりと空いた心の穴を埋めることができた」と振り返る。夫の死後は自宅に引きこもり、横になることが多かった。外出できるようになったのは、怜子さんの温かい言葉と心のおかげだ。
「次男を亡くした後、怜子さんがくれた1本の電話が今も心に響き、強く生きられている」。日航機事故の遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島(みやじま)邦子さん(71)=東京都大田区=は、事故の悲惨さや命の尊さを伝えようと全国を飛び回っている。
遺族の高齢化や日航社員の世代交代で事故の風化が懸念されている。「悲劇を繰り返さないため、当時の思いを生の声で伝えていく。それが次世代への教訓になる」と強調する。
10月上旬、美谷島さんは墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹の山中を訪れた。怜子さんの分まで、千延子さんを供養した。「33年間頑張ってこられたのは怜子さんのおかげ。今まで以上に積極的に活動して、恩返しします」。
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怜子さんは保護司を約40年間務め、2003年に藍綬褒章(更生保護功績)を受章。道浄寺(阿南市那賀川町黒地)住職の長男正顕(しょうけん)さん(60)らと共に、亡くなる日まで檀家の応対などを全うした。前向きに生きる気力を最期まで持ち続けた。