試合終了のあいさつに訪れた富岡西ナインに大きな声援を送る応援団=26日、甲子園球場アルプススタンドから

 老若男女というのは、こういうのを言うのだろうと思った。26日の選抜高校野球大会に登場した富岡西高校(徳島県阿南市)のアルプススタンドは、立錐の余地がないほど人で埋め尽くされた。驚いたのは層の幅広さだ。首が座っていないのではないかという生まれたばかりの赤ちゃんが母親に抱きかかえられ、腰が曲がり歩くのがやっとというお年寄りの姿もあった。恐らくあまり野球を知らない人もいただろう。みんな「おらが町の子どもたち」を見るために、甲子園に集まった。やはり甲子園はすごいところだ。
 
 選手たちは県南部の中学校出身者だ。富岡西高校には寮もなければ、各地からの交通手段も充実してない。遠距離を自転車で、バスで、汽車で通学している。県外から集まった強豪私学が甲子園常連校になる中、「近所の◯◯くん」や「◯◯くん、◯◯ちゃんの孫や子ども」である。

 スタンドではあちこちでこんな会話が飛び交った。「来たんか。久しぶりやなあ、何年ぶりな」。高校卒業以来会っていない人もいたのではないか。しばらく帰省していない人もいただろう。

 よく言われるが、痛感する。「アルプススタンドには古里がある」

 試合は白熱の攻防が繰り広げられた。東海地区大会優勝校の東邦相手に臆することなく、戦った。校歌の冒頭にある「はつらつ若き」。そんなプレーぶりに観客は一喜一憂した。

 九回の攻撃の前に、アルプススタンド後方から男性の声が聞こえてきた。「最後です。皆さん立って応援しませんか」。こういう呼び掛けは、意外と広がらない場合が少なくない。恥ずかしさもあって立つのを躊躇しかねない。それが違った。周囲が立ち始め、その輪が波紋のように広がっていく。いつしかアルプススタンドは総立ちになっていた。

 試合は敗れた。選手たちがアルプススタンド前にやってきた。この日一番の拍手と歓声が湧いた。飛び交う声で多かったのは「ありがとう」だった。観客の表情には満足感が漂う。「いい試合を見せてもらった」「自分も頑張ろうと思った」。ここでも校歌の一節が思い起こされる。「世紀の歴史つくるもの」。創部120年目。まさに世紀の歴史をつくった。同時に多くの人々の心に感動を刻んだに違いない。

 富岡西高がこれまで甲子園にあと一歩に迫った時、多くの卒業生の間ではこんな会話が繰り広げられた。「1回でいいから、生きているうちに甲子園に行ってほしい」。人間とは欲なものだ。試合終了後には「もう1回来たい」「今度は甲子園で校歌が聞きたい」。早くも夏を期待する。選手たちこそ、そんな気持ちを強くしているはずだ。

 全国各地で過疎化や少子化が進み、高校の統廃合や閉校も相次いでいる。私学の野球環境が充実し、公立高校が甲子園で活躍するのも難しくなっている。そんな時代だからこそ、余計に「まちの学校」への思い入れは増すのだろう。
 それにしてもこれほど多くの人たちを引き付ける甲子園とは、何だろう。甲子園があるから頑張れる、甲子園があるから出会える、甲子園があるから熱くなれる―。甲子園ありがとう、である。(卓)