沖縄県が本土に復帰して、あすで45年になる。
 
 この間、復帰時に県民が求めた「本土並み」は実現せず、米軍基地の移設や返還を巡る国と県の対立はますます先鋭化している。
 
 県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦が終結して来月で72年になるが、犠牲と負担を強いる構図は今も変わっていない。
 
 沖縄が抱える問題は、本土に住む私たちと深く関わっている。現状に目を向け続けなければならない。
 
 最大の課題は、宜野湾市の米軍普天間飛行場をどこに移すかである。
 
 政府は、名護市辺野古への移設が「唯一の解決策」だとし、沿岸部で護岸工事に着手した。これに対して、翁長雄志(おながたけし)知事をはじめ、多くの県民が反発している。
 
 法廷に持ち込まれるなど泥沼の争いになったのは、政府が力でねじ伏せる姿勢を取ってきたためである。強引なやり方は、「銃剣とブルドーザー」で米軍基地が造られていった県民の記憶と重なる。
 
 普天間の海兵隊は、もともと岐阜県などに駐留していた。それが基地反対運動の激化を受けて、1950年代半ばに移駐された。本土からの押し付けであり、「世界一危険」と言われる飛行場の移設は当然である。
 
 しかし、移設先はなぜ、同じ沖縄でなければならないのか。海兵隊を運ぶ艦艇がなく、朝鮮半島から遠い沖縄に駐留し続ける必要もない。こうした問い掛けに政府が真摯(しんし)に向き合わなければ、溝は深まるばかりだろう。
 
 そもそも国土全体の0・6%しかない沖縄に、在日米軍専用施設の70%が集中していること自体が異常である。背景には、戦後、沖縄が本土と切り離された歴史がある。
 
 日本は52年に発効したサンフランシスコ講和条約によって主権を回復したが、沖縄は米国の統治下に置かれた。72年に復帰を果たすまでの20年間に行われたのが、民有地を奪っての基地移駐である。その結果、本土の米軍専用施設は6分の1以下に激減し、沖縄では7割以上も拡大した。
 
 基地があることによる被害は後を絶たない。昨年末には、オスプレイの不時着事故が起きた。県によると、復帰後に発生した米軍機の墜落事故は40件以上あり、米軍の凶悪犯罪も570件以上に上っている。
 
 「沖縄は基地がないと食べていけない」という誤解が、いまだに根強いことも問題だろう。沖縄経済の「基地依存度」は復帰時の15・5%から13年度は5・1%に減り、米軍施設跡地に造られた商業施設などの経済効果は、基地の14~108倍になるという。
 
 だが、そうした基地が日本の安全保障を担っているのも事実である。日米安保体制を基軸とする以上、沖縄の負担を軽減するには本土が引き受ける必要がある。そのことを、真剣に考えていかなければならない。