第1次世界大戦中、鳴門市にあった板東俘虜(ふりょ)収容所で紡がれた日独交流の物語を語り継いでいくのは、私たちの務めである。
徳島県の飯泉嘉門知事とドイツ・ニーダーザクセン州のシュテファン・ヴァイル首相らが、収容所の関連資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に共同で登録申請することを正式に決めた。
共同での申請に伴って、ドイツ兵捕虜が家族に宛てた絵はがきなどリューネブルク市文書館が保有する50点以上が資料に加わる。申請資料は、捕虜がアジアで初めてベートーベン「第九交響曲」を演奏した際のプログラムや収容所内で発行された新聞などと合わせ、約700点に上る見通しである。
ヴァイル首相は「敵から友人へと交流を発展させた例は他にない。一緒に登録を目指したい」と述べた。テロや紛争が絶えない中で、記憶遺産にすることは意義がある。平和の尊さを象徴するものになるはずだ。
登録申請は、2カ国以上が共同で行う場合、国内選考を経ずにユネスコに直接申請できる。今後は、県と鳴門市、ニーダーザクセン州、リューネブルク市の4者がいかに協力し、記録物の貴重さを理解してもらえる資料を作成するかが鍵になるという。
2018年春に申請し、19年度の登録を目指す。しっかりと連携し、実現にこぎ着けてもらいたい。
収容所は1917年4月から3年間設置され、約1千人のドイツ兵が収容されたが、そこには収容所とは思えない自由があったようだ。
福島県会津若松市出身の松江豊寿所長による人道的な運営の下、捕虜たちは兵士になる前のそれぞれの技能を生かし、パン作りや野菜栽培、印刷物の発行などを進め、地元にドイツの技を残した。
スポーツや演劇、音楽活動なども謳(おう)歌(か)し、住民と交流を深めた。それが基礎となり、「第九」の演奏会が毎年開かれている。
今月4日に鳴門市文化会館で開かれる演奏会は、「第九」がアジアで初演されてから、2018年で100周年となるのを前にしたプレイベントと位置付け、鳴門と「第九」の関わりをPRする。
収容所があったからこそ、徳島での日独交流が生まれた。登録申請を機に、資料の保存、収集、活用にさらに力を入れなければならない。
記憶遺産は、世界の重要な遺産の保護と振興を目的に登録が始まった。「アンネの日記」「マグナカルタ」などが登録され、国内では「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」「慶長遣欧使節関係資料」などが選ばれている。
板東俘虜収容所の関連資料にも、後世に伝えていかなければならない歴史の「証人」といえる記録がある。
国境を超えた人間愛や絆の物語を、ぜひ国内外に発信していきたい。