徳島市におびただしい数の焼夷弾が投下され、市街地の6割が焦土と化した。徳島大空襲から、あすで72年を迎える。亡くなった大勢の市民の冥福を祈るとともに、不戦の誓いを新たにしたい。

 大空襲は1945年7月4日の未明にあった。米軍のB29爆撃機129機が飛来し、約2時間にわたって市中心部に焼夷弾を落とした。

 死者は約千人、負傷者は約2千人に上った。11万人余りの市民のうち約7万人が焼け出された。

 この事実を忘れず、二度と戦争を繰り返してはならない。そのためには、一人一人が強い意志を持って語り継いでいくことが大切だ。

 戦争を語る取り組みが、各地で行われているのは心強いことだ。

 あすの夜も、反核・憲法フォーラム徳島による20回目の「徳島大空襲を語るつどい」が開かれる。ありのままの記憶を語る言葉ほど、説得力を持つものはない。体験者が見聞きし、感じたことに耳を傾けたい。

 徳島市立木工会館では、沖洲国民学校2年生で大空襲を体験した79歳の女性の記憶が紙芝居となり、近くの保育園児に披露された。

 女性は自宅庭にある防空壕に隠れて難を逃れた。沖洲地域の空襲被害は少なかったが「低空で飛び、『ヒューン』と爆音を響かせるB29が怖かった」と振り返っている。

 県遺族会は戦争体験者による「語り部の会」を続けている。毎月違う講師から、生々しい体験を聞くことのできる貴重な機会となっている。

 しかし、徳島大空襲を直接知る人は、年々少なくなっているのが実情だ。高齢化が進み、語り部の確保も難しくなりつつある。

 戦争体験者の講演会を開いてきた小松島市立江町の住民グループ・たつえ歴史教室は、8月6日に開く第8回を最後に終わるという。講師を引き受けてくれる元気な人がいよいよ見つからなくなってきたからだ。

 このまま戦争の記憶を薄れさせてはならない。

 次の世代にどう引き継いでいくのか。突き付けられた課題は年を追うごとに重くなっている。

 参考にしたいのは、被爆地広島市などでの取り組みだ。語り部の思いや言葉を受け継ぐ人を募集し、「伝承者」として養成している。

 体験者が語る姿を、DVDや動画に残す作業にも力を入れたい。伝え続ける営みを途切れさせてはなるまい。

 世界では今も、戦火に苦しんでいる国がある。テロや紛争に脅かされている人も多く、難民問題も深刻になっている。

 平和を脅かす動きはそこかしこにある。だからこそ、平和の尊さを伝えていかなければならない。

 戦争のむごさと愚かさを先人から学び、しっかりと心に刻みつけておく。それが私たちの務めである。