1945年8月6日、人類史上初めて、広島で原子爆弾が使われた。3日後には長崎に落とされた。それから72年になる。
広島では約14万人、長崎では約7万4千人が亡くなった。一瞬で命を奪われた人、水を求めて苦しみながら息絶えた人。筆舌に尽くし難い悲劇を、二度と繰り返させてはならない。
きょう広島で、9日には長崎で、平和を祈念する式典が開かれる。犠牲者を悼み、核兵器廃絶への誓いを新たにしたい。
昨年の原爆忌から1年がたち、核兵器を取り巻く状況は大きく変わった。
一つはトランプ米大統領の登場であり、もう一つは、核兵器禁止条約が国連で採択されたことだ。
トランプ氏は核戦力の拡大に意欲を見せている。核軍縮でロシアと合意した新戦略兵器削減条約(新START)の見直しも示唆した。
昨年5月、現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏が、「(核保有国は)核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と決意を表明したのとは、全く逆の姿勢だ。
そうした変化に怒りと危機感を抱いた国々が選んだのが、核兵器を非合法化する道だった。核軍縮の機運が後退する中、国連加盟国の3分の2に迫る122もの国が条約に賛成したのは当然だろう。
広島、長崎の被爆者による半世紀以上にわたる叫びが、その動きを強く後押しした。
ところが、残念なことに、核兵器の非人道性を最もよく知る唯一の戦争被爆国である日本は条約に反対し、参加しなかった。米国の「核の傘」の下にあるというのが理由だ。核兵器は「絶対悪」ではなく、「必要悪」だというのだろうか。
きょう広島の式典で読み上げられる平和宣言は、禁止条約に触れ、「核保有国と非保有国との橋渡し役に本気で取り組むよう」政府に訴える。長崎の平和宣言も、条約参加に転じるよう求める。
安倍晋三首相は、被爆地の声に真摯(しんし)に耳を傾けてもらいたい。そして参加へかじを切り、米ロなど条約に反対する核保有国に範を示すべきだ。被爆国としての使命はそこにある。
被爆者の平均年齢が81歳を超え、体験者は年々少なくなっている。そんな中、広島、長崎両市は体験講話のビデオ化などに加えて、証言を伝承する語り部の養成に取り組んでいる。
悲惨な体験を語り継ぎ、次世代に伝える営みが、惨禍を防ぐ力になる。絶対に風化させないという被爆地の意志を、私たちはしっかりと受け止めなければならない。
徳島県内でも、平和を願う集いが各地で行われる。毎年恒例の行事も多いが、大人だけではなく、子どもたちの姿があるのは心強い。
平和のバトンを未来へ、確実につないでいきたい。