米軍普天間飛行場の移設先として、埋め立てが進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=3月13日(小型無人機から)

プラカードを掲げ、沖縄県民投票への参加を呼び掛けるOKOKのメンバー=2月16日、那覇市久茂地

「投票率がもっと高ければよかった」と話す伊勢さん

「基地問題が変わらない状況に、地元の人には諦めもある」と語る仲本さん

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古(名護市)移設に伴う沿岸部埋め立ての賛否を問い、2月に実施された沖縄県民投票では反対票が72・2%を占めた。しかし、政府は埋め立て工事を続けている。宜野湾、名護の両市出身者が徳島に暮らす。共に徳島県民有志でつくる「沖縄県民投票を勝手に応援する会(OKOK)」のメンバーの伊勢留美子さん(55)=徳島市、主婦=と、仲本桂子さん(53)=阿南市、NPO職員。沢口佳昭・社会部担当部長を司会に、県民投票が示した民意や基地についての思いを徳島新聞社で語り合ってもらった。 (文中敬称略)

投票率が残念/一部に諦めも

 沢口 私の父の兄は海軍に召集され、沖縄戦で亡くなっています。そうしたこともあって沖縄に関心が高く、県民投票の告示後に沖縄まで取材に行きました。お二人はいくつまで沖縄で過ごしましたか。

 伊勢 四国女子大(現・四国大)に進学して以降、徳島に住んでいます。那覇で出張試験をしていて、大学の同級生に20人ぐらい沖縄出身者がいました。

 仲本 私も四国女子大に進学。18歳まで沖縄で暮らしました。

 沢口 県民投票の結果をどう見ますか。

 伊勢 反対票が多かったのはよかったけれど、投票率(52・48%)がもっと高ければ、と。「賛成」も含め、意思を伝えようとOKOKのメンバーは呼び掛けていた。

 身近な人に電話やメールで「投票に行って」と伝えていたら、「行く気ないから」という反応が返ってきたり、若い人からは「国が決めたことだから」「僕の1票では変わらんよ」と言われたり。ショックである一方、そうした諦めがあることにも気付きました。

 投票の翌日から(埋め立ての)土砂が入って、「えっ」と思っているのが今の気持ち。

 仲本 ほぼ同じ意見なんですが、若い人の反応が鈍いのは分かる気もする。私の世代でも親から戦争の話は聞いていても、「重い話だ」と感じていたところはあるんですね。

 母方の祖母は浦添市の海の近くで農業を営んでいた。戦争になって、追いやられて北部に逃げた。鍋と着るものを少しだけ持って、小学生だった母ら子どもを連れて山原まで。大変な道のりですよ。

 伊勢 私の父は名護市で暮らしていて終戦後の物資のない時代は、米軍物資を南部に取りに行っていた。(直木賞を取った)真藤順丈の小説「宝島」で登場する戦果アギヤーです。学校で戦争の語り部活動などもしていました。

 仲本 私が7歳のときに沖縄が本土復帰。お年玉がドルから円になった。中学1年のときに道路が「人は右、車は左」に変わった。子どもの頃は、ベトナム戦争に爆撃機が飛んで行ってた米軍嘉手納飛行場がよくニュースで取り上げられた。両親とも教員で、「デモに行くから夕飯自分たちで食べてね」なんてことが日常的にあったけど、親の世代より生活は便利になっていて、豊か。戦争と直接向き合うことが減ってきているんですよね。