徳島市出身の武市(たけいち)和希さん(ボーカル、ギター、キーボード担当)と坂東志洋(ゆきひろ)さん(ドラム担当)が所属する男性4人組ロックバンド「mol-74(モルカルマイナスナナジュウヨン)」が、4月3日にファーストアルバム「mol-74」を発売してメジャーデビューを果たす。20日からは全国9都市を巡るツアーもスタートさせる。PRのため徳島新聞社を訪れた武市さんに、アルバムの仕上がりやメジャーデビューの心境を聞いた。

メジャーデビューを果たすmol-74のメンバー。

 ーバンドのはじまりは。
 高校の入学式で僕と坂東の席が隣になったのが最初の出会いでした。クラスも同じだったんですが、最初の方はしゃべることも少なくて仲良くありませんでした。ある時、お互いに「ASIAN KUNGーFU GENERATION(アジカン)」が好きだということが分かって、それから仲良くなりました。

 ー音楽をやりはじめたのは。

 1年生の時に、文化祭の音楽ステージで先輩が「ゆず」の楽曲を演奏していると、女の子がすごい歓声を上げていたんですよね。そのステージを僕と坂東と友達2人でちょうど見ていて、うらやましいなって軽い気持ちからバンドを組んだのがきっかけです。

 実際はそこまで本気ではありませんでしたが、高校1年の冬休みが終わった時に、ギター担当の友達がお年玉でギターを購入したと聞いて、僕も決心してお年玉を使ってギターを買いました。

 ー初めてライブをしたのは。

 「アジカン」のコピーバンドとして、2年生の文化祭で演奏したのが生まれて初めてのライブです。全然モテはしなかったんですが、とても面白かったのを覚えています。幼い頃から人前に出て何かをするのは、あまり得意ではありませんでしたが、ライブをしたことで自分の中での新しい世界が開けた感じがしました。

 それからは自分の耳で聞いていた音楽を自分で演奏できる楽しさにはまっていって、少しずつオリジナル曲を作ったり、校外でライブをしたりするようになりました。

 ー現在のバンド名になったのはいつから。

 高校3年生の時に、僕と坂東と新しいメンバーでバンドを結成した時に「mol-74」という名前をつけました。ただ、特に何をするわけでもなく、メンバー全員がたまたま京都に進学するということだったので、京都でだらだらとバンド活動を続けていました。

 ーその頃の武市さんは。

 僕自身は高校3年生の時に「ミュージシャンになる」と親には伝えていました。けれど、小学校の時から僕がパティシエになりたいと言っていたことや、親が将来のことを心配してくれていたことなど、いろいろな理由があって専門学校には行かせてくれました。複雑な心境のまま1年間の学生生活を過ごして、音楽活動を優先させるために時間の融通が利く職種に就きました。

音楽フェス「サヌキロックコロシアム」でのライブの様子

 ーそこからは音楽中心の日々に?

 音楽中心の日々は送れませんでした。全国を転々とするような仕事に就き京都には帰ることがなかなかできず、音楽活動をやる時間もありませんでした。だから音楽を続けるためにも仕事を辞めました。

 それから、京都で音楽活動を続けるために徳島でアルバイトをしてお金をためました。準備が整い、京都で本格的なバンド活動をしていこうと思った矢先に、僕と坂東以外のメンバーから「このバンドを真剣にするつもりはない」と言われたので、当時対バンなどで親交があった井上が加入してくれた2010年を、僕らの始まりの年にしました。

 ー結成してからの活動は。

 京都を拠点にライブをしながら、バンドコンテストや音楽フェスのオーディションなどいろんなものにチャンスを求めてチャレンジしていましたが、注目もされずに地道な活動が続いていました。

 ーいつごろから現在のような音楽の方向性になったのか。

 最初に発売した自主制作のCD2枚は、今と違ってギターロック路線の楽曲が中心でした。当時は速いリズムである4つ打ちの曲調がはやっていましたが、その時の僕はすごく尖(とが)っていて、みんなと同じような音楽をするよりも、自分たちにしかできない音楽を突き詰めていかない限りは音楽を続けることも難しいし、他のバンドと同じ音楽をしていても埋もれてしまうだけだという懸念がありました。どうすれば自分たちらしさが出せるんだろうとすごく悩んでいて、ギターロックバンドではありましたが、その中でも人とは違うことをやってやろうという思いがずっとありました。サビが1回しかない曲など、あの時期はいろいろと模索していました。

 ー状況が打破できたきっかけは。

 当時は、邦楽しか聞いていませんでしたが、イギリスのロックバンド「Coldplay」にはまり、それから洋楽を聞くようになったことが転機でした。特に「SigurRós」や、ジャンルは違いますが女性歌手「エンヤ」などの北欧の音楽にはすごく影響を受けました。それに、クリス・マーティン(Coldplayのボーカル)のようにアコースティックギターや鍵盤など、いろいろな楽器をマルチに演奏している人が当時はほとんどいなくて衝撃的でした。そこから、曲作りや音楽性を変えて完成したのが、「越冬のマーチ」(15年1月に発売したミニアルバム)です。

 ー「越冬のマーチ」はどんな作品か。

 自分たちの中で「自分たちにしかできないことをする」という明確な思いがある作品だと思います。印象に残っているのは、アルバムに収録された「赤い頬」のミュージックビデオ(MV)を動画共有サイトに公開したときに、意外と肯定的な意見が多くて、とてもうれしかったです。海外の方のコメントも結構あってびっくりしました。

 ミニアルバムを発売してからはお客さんの反応も変わってきて、この音楽性を突き詰めたら良いんだという手応えと、続けることで道が開ける可能性を感じました。

 ー武市さんが思うモルカルとは。

 良い意味で「へんてこなバンド」というイメージです。メジャーデビューを機に過去の作品をまとめていく中で、ジャンルなどにこだわらずに、それぞれの楽曲でいろんなことに挑戦していて、音楽性の振れ幅がすごかったんです。

 その当時に、自分やメンバーが作りたい音楽を作ってきた結果、キャッチーな曲からダークな世界観の歌など、楽曲それぞれに表情や世界観が違うので、そういった部分を「へんてこ」と感じています。

 ー徳島での暮らしが音楽に反映されている部分はあるか。

 徳島で過ごした日々が確実に生きています。僕が住んでいた場所は信号もない自然に囲まれた町で、そのおかげで、季節の香りなどをすごく感じることができます。今回、実家に帰ってきた時も、「春の香り」や「花の匂いや草の匂い」などに、やっぱり敏感でした。もし僕が東京のような都会で生まれていたら、こんな音楽はやっていなかったし、作れなかったと思います。

 季節ごとにしか現れないものがすごく好きで、それを音楽に当てはめて、この楽曲は春に聞いたら気持ちがいいとか、夏のこの時季に似合うななど、音楽にリンクさせたいと思っています。

 昔は、田舎で何もなくて寂しいと感じた時もありましたけど、今となっては音楽としっかり結びついているので有り難いです。

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