日本政府が国連総会第1委員会(軍縮)に提出した「核兵器廃絶決議案」の表現が、例年の記述より大幅に後退していることが分かった。
決議案は、米国やロシアなど核保有国に核軍縮の努力を求める内容で、日本が1994年以来、毎年提案し、採択されてきた。唯一の戦争被爆国である日本の決意を世界に示すものだ。
日本は、今年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に参加せず、多くの国の失望を買ったばかりである。それに続く問題であり、これまで日本が行ってきた核廃絶の訴えが骨抜きになりかねない。
政府は、核保有国と非保有国との「橋渡し役」になりたいとしているが、このままでは非保有国からの信頼が失われるのではないか。
後退したのは、核兵器使用の非人道性を巡る表現だ。
昨年までは「核兵器のあらゆる使用」が「壊滅的な人道上の結末」をもたらすと明記していたが、今年の決議案は「あらゆる」が削除された。
これでは、一部の核使用は非人道的な結果を招かないと受け取られる可能性がある。軍縮の専門家から「場合によっては(核使用が)許容されることを意味する」との批判が出たのは当然だろう。
日本が核軍縮外交の柱とする包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進に関しても、主張が弱まった。
昨年と一昨年の決議では、発効要件国で批准していない米国や中国、イランなど8カ国に早期批准を強く求めていたが、今年は北朝鮮だけへの要求にとどめた。
CTBTは核兵器開発を防ぐため、爆発を伴うあらゆる核実験を禁止する条約である。今回の主張は、早期発効を最優先する日本の従来の方針から逸脱している。
いずれの後退も、米国の意向を反映させた結果とみられる。トランプ政権は核軍縮に後ろ向きなばかりか、核戦力の近代化を進めている。
米国の「核の傘」の提供を受けているとはいえ、トランプ政権の方針に同調するような対応は、広島、長崎の被爆者らの思いを踏みにじる行為と言わざるを得ない。
さらに見過ごせないのは、決議案が核兵器禁止条約に一切言及していないことだ。
禁止条約は被爆者らの長年の尽力が実り、ようやく採択された。制定に貢献した国際非政府組織(NGO)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞は、核廃絶が世界の潮流であることを示している。
ICAN国際運営委員を務めるピースボート共同代表の川崎哲(あきら)さんは、「まるで核保有国が出す決議案のようだ」と政府の姿勢を批判した。
昨年の決議案には国連加盟の9割近い167カ国が賛成したが、今年は非保有国が反発を強め、大きく下回る恐れがあるという。
被爆国としての責任が問われていることを、政府は強く認識しなければならない。