新元号が「令和」に決まった。5月1日から令和元年として時を刻んでいく。子や孫の世代が、令和は戦争のない時代だった、と振り返れるよう、われわれの知恵と努力を積み重ねていきたい。

 安倍晋三首相は「一人一人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」と令和に込めた願いを語った。

 平成の改元には、首相の記者会見はなかった。首相が新元号決定の総責任者として、国民にその思いを明らかにするのは、元号法の趣旨から妥当なことだ。

 憲法の国民主権の理念からは、決定に至る経緯もできる限り明らかにすべきだった。万葉集という国書が初めて典拠とされたことで、わが国の伝統文化や和歌への興味も募る。親しまれ、浸透するためにも、情報の開示は必要だ。

 改元への関心がこれほど高まったのは、史上初めてのことだろう。最大の原因は「天皇の死」を伴わないからだ。30年前は、昭和天皇の闘病に配慮し、新元号への興味さえ口にできない世情だった。

 退位の意向をにじませた2016年8月の天皇陛下のビデオメッセージが、現在の状況を生んだ。国民の共感を得て国会が動き、特例法が制定され、皇位継承が決まった。

 道のりは平たんではなかった。保守派を支持基盤とする首相自身が当初、天皇退位に消極的だった。陛下の思いを後押ししたのは国民の支持だった。

 実現した皇位継承とそれに伴う改元は、国民が関わる一大事業だったとも言える。「平成」の船出に比べると、新元号が「国民の元号」として日々の暮らしに浸透する素地は、公表前から整っていたのではないか。

 陛下は、今年2月の在位30年記念式典で「平成は昭和天皇の崩御とともに、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました」と振り返られた。

 戦争と復興の激動を生きた昭和天皇と、長く続いた「昭和」の存在感は大きく、重かった。戦後50年、60年、70年の節目を刻みながら、平成は徐々に存在感を増した。

 両陛下が慰霊の旅を始めた戦後50年は、阪神大震災、オウム事件の衝撃が社会を襲い、未来への暗雲が立ち込めていた。

 雲仙・普賢岳や三宅島の噴火、東日本大震災と福島第1原発事故など、平成は多くの災害に見舞われ、次の時代に持ち越される難題も多い。

 それでも陛下は、昨年の誕生日会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語った。戦争の惨禍を知る高齢の方々が、同じ感慨を抱いたことだろう。

 「戦争のない時代」は、多大な犠牲の上に築かれた究極の価値だ。人と人が殺し合う戦争の愚を、人の英知で防がなくてはならない。われわれが令和に込める最大の願いではないだろうか。