徳島県小松島市出身の俳優大杉漣さんが急逝した。
テレビドラマの撮影を終えた夜に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。まるで舞台を地で行くような役者人生の幕引きだった。「ちょっと、早かったか」。幕の後ろから大杉さんの阿波弁が聞こえてきそうなほどで、信じられない気持ちでいっぱいだ。
とても、すぐに、さようならと別れを告げられそうにない
。
大杉さんは、音楽ライブや旅番組のロケ、サッカーJ2徳島ヴォルティスの応援などで、古里との深い縁を保ち続けた。
「バルトの楽園」など徳島が舞台の映画出演も含め、古里への貢献は計り知れない。
「面白いよねぇ。阿波弁ってなんか、醸し出すものがあるよね」。そう語ったこともある。徳島なまりは、郷土への愛着の証しだったのだろう。
大杉さんは城北高校を卒業した後、上京。1974年に劇団「転形劇場」に入団し、役者修業を積んだ。
知名度が高まったのは、北野武監督の映画に起用されてからだ。準主役を務めた「HANA―BI」で日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受けるなど、俳優としての地位を揺るぎないものにした。
遅咲きだったが、暴力団員、刑事、首相、父親と演じた役は数え切れない。すごみ、おとぼけ、飄逸(ひょういつ)。「300の顔をもつ男」の呼び名にふさわしい活躍に、改めて賛辞を贈る。
独特の存在感のある名脇役ぶりは”いぶし銀“の趣だった。その穴は埋められまい。映画界にとって大きな痛手となろう。
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