「昔は制服で街に出るのが嫌だった。税金泥棒と罵声を浴びることもあったしね」。そんな話を海上自衛隊小松島航空隊(現・第24航空隊)のベテラン隊員から聞いたのは、1995年の阪神大震災から3年がたったころ
「それが」と中堅隊員が話を継いだ。「自衛隊に対する視線が、震災でがらりと変わった」。小松島からも神戸の支援に飛んだ。荷物を積むようにできていない対潜ヘリコプターを急ぎ改装して
発生から約2カ月、主に2月初旬までに延べ166機が出動。人員351人、遺体7体、毛布1700枚、食料12万食、その他の物資11トンを運んだと当時の取材ノートにある
飛行前の打ち合わせをする航空隊の部屋に「NEVER GIVE UP」と記した色紙が飾ってあった。活動中に知り合った中学生からの贈り物だという。報われることの少ない仕事だけに「色紙を見て涙がにじんだ」と隊員は率直に語った
災害対策のパートナーとして、自衛隊をきちんと位置付けていない都道府県は今やないだろうが、市町村レベルでは今もあるようだ。20年目の1・17を前に、昨年の大雪、三好市の失態を思い返している
震災前、自衛隊を取り巻いていた空気を、もう少しの間、記憶しておいた方がいいかもしれない。阪神では、それが一因となって出動要請が遅れたことも。
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