メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さんは中学2年の時、級友に誘われて駅伝クラブに入った
それから数々の駅伝を経験した君原さんは「マラソンより駅伝の方がつらい競技だった」(人生ランナーの条件、佼成出版社刊)と振り返る。ある時、君原さんは、区間を全うする責任のつらさが自分を生かし、チームに大きく貢献しているのだと気がついた。駅伝は、親から子、孫へと生命や遺伝子のたすきを受け渡す人生に似ているとも言う
1973年の第19回徳島駅伝に、君原さんは招待チームの新日鉄の一員として参加し、世界の走りを披露した。ゴールした後、新町川沿いをジョギングする君原さんの表情は緩んでいなかった。その顔はどんなレースでも全力を尽くすのだと語っていた
第61回大会は大接戦の末、鳴門が徳島を逆転して4連覇を達成した。病気を乗り越え、大雪のハンディを克服し、所属企業の廃部にめげなかった選手たち。沿道の観衆の声援に後押しされ、懸命の走りで新春の郷土に活力を注いでくれた
今年は地方創生の動きが本格化する。県市町村が生き残りをかけて策定する地方版の総合戦略に、住民の知恵を結集しよう。「先祖から渡された人生に私たちは責任がある」と君原さんは言う。県内の津々浦々で、駅伝のように生命のリレーを続けたい。