70年前、太平洋戦争末期の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園に並ぶ「平和の礎」には、24万人を超す戦没者の名が刻まれている。敵味方の分け隔てはない。太平洋の風を浴びる碑に徳島県民の名を見つけたときは、万感の思いで立ち尽くした。「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦の惨禍は語り尽くせない

 豊見城市には旧海軍司令部壕が今も残っている。狭い迷路のような壕に入ると、銃弾跡から、とうに消えたはずの血のにおいが漂ってくるようだった

 司令官の大田実海軍中将は1945年6月6日、海軍次官宛てに長い電文を打った。沖縄県民の苦難と献身ぶりを伝えた電文はこう結ばれている。「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。中将は壕で自決した

 昨年6月、平和祈念公園で開かれた戦没者追悼式に参列した安倍晋三首相は「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、できることは全て行う」と述べた

 それなのに政府が新年度の沖縄振興予算を1割削減するというのは、どうしたことか。昨年11月の沖縄県知事選で、普天間飛行場の名護市辺野古移設反対を掲げて当選した翁長雄志知事への「腹いせ」との見方もある。戦後70年の節目。広く温かい心で沖縄と向き合えないか。